第22回「うんと知りたいトイレの話」報告 「快適さって何」 (日本トイレ協会編「進化するトイレ」シリーズ第二弾「快適なトイレ」特集その1)

第22回「うんと知りたいトイレの話」報告
「快適さって何」
(日本トイレ協会編「進化するトイレ」シリーズ第二弾「快適なトイレ」特集その1)

●講師
(司会)快適トイレ編のテーマについて:小林純子(日本トイレ協会代表理事・会長、(有)設計事務所ゴンドラ代表)
(1)快適さって何:小松義典(日本トイレ協会運営委員、名古屋工業大学大学院ながれ領域 准教授)
(2) トイレの快適化の歴史と文化:森田英樹(日本トイレ協会運営委員、総合トイレ学研究家)
(3)トイレの人間工学:上野義雪(日本トイレ協会理事・副会長、上野研究室主宰・元千葉工業大学教授)
一般社団法人 日本トイレ協会、連続セミナー「うんと知りたいトイレの話」(2023年3月16日)

(小林)私達はトイレに関わらず快適さ、快適な環境を求めて改善を積み重ねてきている。
快適には、人によって様々な感覚がある。
日本トイレ協会編「進化するトイレ」シリーズ第二弾「快適なトイレ」という本で、快適さの意味を考え、歴史を知り、技術の進化を理解してから、現在はどんな課題があるのかについてまとめた。
1人の執筆者ではそれを網羅することができないと考えて、それぞれの専門家37名が執筆している。
まず、快適とはどういうことなのかについて小松さんに話をしていただき、快適さの歴史について森田さんに、快適さを構築する場合の人間工学的分析を上野さんにお話ししていただく。

(1)快適さって何?:小松義典
(1-1)建物の快適さ
トイレは建物であるための様々な制約を受ける。その中で快適さを考えていかなければいけない。
建物の基本性能にはいくつかの評価軸がある。
私達は、安全性とか衛生性を求めて建物を作ってきたが、この二つが満たされると、より快適に過ごせるための改善を繰り返してきた。
近年は、都市に集まって住む上での、利便性の追求、経済性の追求、そして社会性の追求を求めて、建物は造られてきた。
そして最近になって、持続可能性という新たな性能が求められるようになった。
これらはもちろんトイレにおいても求めていかなければならない。
(1-2)第1段階:不快ではないという快適さ
快適というのは、そもそも定義が難しい。それを3段階ぐらいに分けて考えてみる。
第1段階としては、不安ではない、不衛生ではない、不便ではないというような基本的なことが満たされたトイレ、別の言い方をすると不快ではないというトイレがある。
こういう消極的な快適さを持つトイレは、快適なトイレを考えるうえで、多くの人にとって共通する要素になるのではないかと思う。
いろいろなストレスがない状態。ストレスを感じることが少ない快適さと言える。
(1-3)第2段階:満足を感じる快適さ
第2段階の快適さとして、たとえば熱環境に対して満足だと言える心の状態というのが温熱環境、温冷感にとっての快適な状態という定義がある。
第2段階の満足を感じる快適さというのは、温度感覚とそれによって得られる心の満足感としての快適性であり、これは第1段階の、不快ではないという快適さと区分できる。
ただし両方とも、受動的な傾向がある快適さということで、これらは人による快適さの違いが小さい、すなわち個人差の違いが小さい方の快適性に分類できるものだと思う。
(1-4)第3段階:刺激を受ける快適さ
車のヘッドライトを真正面から見た場合、私達は眩しくて不快に思ったり、周りが見えなくなったりする。
一方、縁日の裸電球には不快な眩しさを感じない。眩しくても、華やぎや賑やかさを感じることができる。
つまり、同じような光であっても、捉え方によって不快なのか、快適なのかが変わってくるようなものもあって、こういうものは第3段階の刺激を受ける快適さとして捉えることができる。
音楽では、協和音は多くの人に快適さ、comfortを与えてくれるが、不協和音の中に楽しさ、pleasantnessを見いだす人もいる。
comfortが異論の少ない私達の多くに共通するものなのに対して、pleasantnessは第3段階の快適さとして、個人差が大きい中に見出すことができるということが言えると思う。
このように、快適さには、不快ではない、満足を感じる、刺激を受けるというような3段階が考えられる。
(1-5)快適さは続くのか
第1段階の不快ではないという感覚的な面での快適さというのは、万人共通であるということに加えて、比較的安定していて、快適さとして持続ができる。
第2段階の心の状態の満足感による快適さとか、第3段階の刺激を受けるような快適さというのは状態の変化、環境の変化によって変動が大きいということが言える。
また、時間経過だけではなくて、周辺との対比によっても快適さを感じることが少なくない。
つまり、快適さを、いつも、いつまでも、ずっと感じることができるとは限らない。
(1-6)快適さはどこまでも求めてよいのか
建物における経済性とか、持続可能性というのは、快適に対する制約を与える要素として捉えることができる。
費用を無視することができれば、様々な快適性を追求できるし、そうしたトイレを作ることもできるだろう。
また持続可能性の観点からみると、私達が使っている上水はたくさんのエネルギーを使って作られている。
さらに洗浄して汚水となった排水、下水というのは、浄化の際に多大なエネルギーを使うから、持続可能性という制約条件からは問題がある。
また、刹那的に快適さばかりを求めることは、基盤としての健康、安全を侵す恐れもある。
瞬時的に快適でも、それが長時間続くことで健康を損なっては、それは快適とは言えない。
(1-7)まとめ
トイレの快適さは、不変なものや、万人に受け入れられるものばかりではない。
安全性、健康性が基盤にあって、その上に不快ではなく、さらに心の状態として、快適さを感じるトイレがある。
また、時には創造的な刺激、pleasantnessを与えるようなトイレもあっても良いのではないか。

(2)トイレの快適化の歴史と文化:森田英樹
(2-1)安全であることの快適さ(原始の時代)
私達が、進化して人間になっていた段階で、どのような形で排泄をしていたのだろうか。
非常におおらかに排便をしていたとも考えられるが、人間というのは、牙とか毒とか身を守るための甲羅を持たない、非常に弱い生き物だから、原始の人々の排泄は、生死を賭けたものだったのではないか。
そのため、排泄のときに安全であることが非常に重視されていたのではないかと考える。
(2-2)離し、まとめることの快適さ(縄文時代(紀元前、有史以前))
青森県の縄文時代前期の遺跡、三内丸山遺跡では、少し谷間になっているところから非常に多くの寄生虫の卵が発見されている。
この谷は、おそらく糞尿を捨てていた場所であろうと推測される。
ただ、何らかの排水設備があって、この谷にたまるような構造になっていたのか、あるいは、ここに運んできてそれを投棄していたのかについてはわからない。
この谷は集落から少し離れていて、彼らが自分たちの生活の場からある程度の距離を持たせて、快適さを得ていたのではないかと思う。
同じように縄文時代の遺跡として、福井県の若狭湾に面した三方湖に鳥浜貝塚がある。
この鳥浜貝塚では、浜辺に杭を打った跡があり、その先に大量の糞石(便が化石になったもの)が発見された。
おそらく桟橋状の施設を作って、そこをトイレとして使用したのではなかろうかと推測される。これも、ここで排便していたのか、あるいはこの桟橋から投げ捨てていたのかはわからないが、集落から離し、まとめているということが言えるのではないかと思う。
このように、縄文時代の人々の快適さの指針としては、離し、まとめることなのかなと推測している。
(2-3)水に流すことの快適さ(奈良時代(8世紀))
日本は水に恵まれている国なので、水に流してしまうという発想は、他の文化圏に比べて発想しやすいのではないか。
トイレにもいろいろな呼び方があり、厠という呼び方は川に作ったということから来ていると考えられている。
この水に流すということは、トイレ以外においても、日本においてば思い浮かびやすい快適さの一つだったのではないかと思う。
(2-4)汚れを防ぐ快適さ(平安時代(9~12世紀))
平安時代の作とされている「餓鬼草紙」という絵巻には、庶民が排せつ時に高下駄を履いている絵が描いてある。地面が、糞便で満ち溢れているので、足が汚れるのを防ぐために使っていたようだ。
この下駄が、公共のものとして置いてあって、それを履いて排泄をしていたのか、あるいは個人の持ち物として下駄を持ってきて排便をしていたのかはよくわからない。
当時の人はほとんど草履とか、裸足であった時代で、高下駄というのはかなり高価なものだった。
いまはスリッパになっているが、ちょっと前だと、便所には下駄が置いてあった。
トイレの汚れを避けるためにトイレ専用の履物を履くというのは、日本人の感覚の中でずっと生き続けているものではないかなと思う。
当時の貴族は、おまるを使っていたと考えられている。
貴族の建物の中には、トイレという特定の空間や設備が存在しておらず、代わりにおまるを使っていた。
当時の貴族たちが衣服を汚さずに用を足すのに、おまるというのは、非常に便利だったと考えられる。
こういったことから、汚れを防ぐ快適さを求めていたと考えられる。
(2-5)リサイクルする上での快適さ(鎌倉時代~江戸時代(12~19世紀))
鎌倉時代頃(12~14世紀)からし尿を肥料としてリサイクルすることが始まった。
日本のトイレの歴史の中で、このことは非常に画期的なことで、大きな意義を持つことだった。
このことによって、トイレというものが急速に画一化されていくことになった。
それまで路上で排便していたり、あるいはおまるを使っていたり、あるいは水に流していたりと、様々なトイレの形があったと思われるが、し尿を捨てずに貯めておく汲み取り便所というやり方が、急速に全国的に統一されていくことになる。
し尿を貯めて、回収して、それを肥料として使うというリサイクルシステムが確立された。
そして便所の空間にも工夫を凝らして、トイレの総合的な快適さを追求する状況が生まれていたと考えられる。
(2-6)近代衛生の快適さ(明治時代以降(19世紀以降))
江戸時代には江戸に人口が集中して、100万人を超えていたと言われているが、江戸時代が終わって徳川家や諸大名の帰国などで、人口が激減した。
一説では120万人から58万人に、ほぼ半減したという。
そうすると、都市部から農村部に肥料として運び込まれていたし尿の流通量が半減した。
し尿を回収したり運搬したりする作業に携わっていた人も大混乱に陥り、し尿のリサイクルシステムが、明治の初めに、だんだんと機能不全に陥っていった。
19世紀からぐらいからヨーロッパで科学的な見地をもとにした、近代的な衛生という考え方が生まれてきた。
江戸時代を終えて近代国家として出発した明治政府は、公衆衛生問題をどうにかしなくてはならないという新たな問題を抱えた。
具体的には、寄生虫の問題とか、あるいはコレラの流行をいかに防いでいくのかというのが、明治政府の大きな課題となっていった。
明治政府は東京の清潔を保つため、明治5年(1872年)に条例を作り、立ち小便を禁止したり、し尿を運ぶ場合は桶に蓋をして運ばなければならないといった内容を定め、取り締まった。
明治10年(1877年)に、東京でコレラが流行し始めた。
明治政府は非常に深刻に衛生問題を考えるようになり、近代衛生の思想に沿う形でどのように便所を作っていくのか、いろいろな取り組みが始まった。
その中の一つとして、下水道の建設の他に、改良便所と呼ばれるものが作られるようになっていった。
改良便所は、寄生虫の被害を防ぐために、基本的には便槽が、三つに分かれている。
人間の便とともに寄生虫の卵が出る。それを肥料として使うと野菜に付き、それを人間が食べて、また寄生虫が増えるので、それを断ち切らなければならない。
寄生虫の卵は概ね3ヶ月を経過すると死ぬと考えられているが、従来の江戸時代までの便所だと、汲み取る日の便も1ヶ月前の便も一つの便槽に入っていて、一緒に回収される。
しかし、この改良便所では、出された糞便がまず第1槽に溜まって、それがあふれて第2槽に移動していき、それが更にあふれて、第3槽に移動していく。
第3槽目に到達するまでには3ヶ月以上の時間が経過しているので、第3槽に来たものをくみ取れば寄生虫の被害は生じない。
あるいは下水道の普及。そういう形で衛生を意識した快適さというものが求められていった。
(2-7)各時代において、今日まで、私たちが求めてきた快適なトイレとは
安全であることの快適さ。
離し、まとめることの快適さ。
水に流すことの快適さ。
汚れを防ぐ快適さ。
リサイクルする上での快適さ。
今から40年くらい前、私たち日本トイレ協会が活動し始めた頃、公共トイレは非常に評判が悪かった。
そのトイレをいかに改善して快適なものにしていくのかというのが一つの大きな課題だった。
それは、まず安全であること。
そして、トイレの個室や便器を明るく清潔に保つことによって、汚れを防いでいくこと。
さらにその汚物を下水道などを用いて水に流し、排せつの場から汚物を離し、下水処理場や浄化槽にまとめて、近代衛生の思想にかなった処理をする。
そして、そこから発生した汚泥等を、建築資材などとしてリサイクルする。
こういったことへの挑戦というのが、ここ半世紀近くにわたって私達が取り組んできた一つの快適なトイレの姿であったのではないかと考える。

(3)トイレの人間工学:上野義雪
(3-1)トイレの「ひと・もの・空間」をどの様に捉えるか
人間工学は、私は、ものや空間を作る、あるいはものや空間を使うために考える一つの科学であると考えている。
基本的に、人を中心にトイレという空間を考えていく。
(3-2)どのような人にどの様な便器が相応しいか
製品には一般用の製品と特定の人に限定した専用品がある。
トイレだと、小便器、しゃがみ式便器は使用者を限定しない一般用で、使用者によっては適さない場合がある。
一般の人と特定の人がともに使える製品という、共用品という考え方がある。
腰掛式便器は、より幅広い人に使えるので、共用品的な意味合いを持っている。
(1-3)便器の種類
私は便器を使うときの姿勢の違いでしゃがみ式便器とか腰掛式便器と分けている。
我々が一般的に使っている便器は、小便器、しゃがみ式、腰掛式の3種類がある。
(1-4)文献を調べることから始まる
トイレに関しての専門書は残念ながら無い。
バイブル的専門書としては、アレクサンダー・キラ(Alexander Kira)著で、水回り設備の人間工学について述べた「The Bath Room」がある。
それ以外に、建築の方では、「建築・室内・人間工学」という本の中に、便器に関して掲載されている。
トイレに関しての資料は、学術的なものはほとんどなかった。
(1-5)排尿のメカニズム
便器をいろいろ調べていく、あるいは便器がどうあればいいかを調べていくためには、私達は、まず排泄ということはどういうことかを知る必要がある。
特に小用の場合は、おしっこがどういうふうに出て行くかを知るために、まず泌尿器の構造を知る必要がある。
男性は尿道が長く、女性は短いということで、それによって、排尿の時間にも、両者の違いが出てくる。
男性のおしっこは尿道口の先端から出てすぐに90度ねじれた形で排出される。
いろんな説があるが、一つには、液体の表面張力でこうなると言われている。
男性と女性では尿道の構造が違うので、尿の出方も、それに伴う音も違う。
いくつかの実験結果をもとにして、一般的だが、排出された尿がどういう軌跡を通るかの排尿曲線を作った。
(1-6)便座の形状・寸法を知る
腰掛式の便器では、便座に着座したときに、男性と女性との股の開き方が違う。
今の、我々が使っている便座は男性と女性のどちらを主体にして、その形状を作っているのか、時々疑問に思うことがある。
男性用トイレと女性用トイレのそれぞれで便座を変えた方がいいが、現実にはそうはなっていない。
(1-7)腰掛便器
正しい姿勢で座るには、まず基本は便座の高さが一番大事。
私達が普段使っている便座の高さはほとんど40数センチだが、いろいろ高さを変えながら実験をやった。
例えば座った姿勢を保つときに、身体に負担が少ないのは30センチぐらい。
排便の場合に、かなり腹に力を入れて出すが、これも30センチぐらいの高さが比較的自然に力が入るということがわかっている。
座面の高さを変えながら、それぞれの姿勢を取ったときの筋活動の度合いを調べると、一般的な40センチの高さは、一番筋活動が増える。
だから40センチというのは、姿勢を保つのに一番つらい高さだと言える。
ところが、40センチでも適切なところに背もたれを用意すると、筋活動が下がる。
便座の高さと、座っている時間による筋活動の変化を調べると、高さが30センチだと筋活動が一番少ない。
腰掛け式便器で男性が立って小用をした場合にどうなるかということを調べてみた。
そうすると、便器の手前を含めて、かなり尿の飛散が見られた。
便器の高さによって尿の飛散の状況が変わる。
高さ30センチの便器では、高さ40センチの便器よりも飛散が大きい。
意外だったのは、ズボンの前面にも、かなり飛散している。
男性が便座に座って排尿をする場合は、今の便器では短かすぎる。便器を現状よりも8センチぐらい長くしないと、男性にとっては不都合が生じる。
(1-8)しゃがみ式便器
今はしゃがみ式便器そのものが少なくなっているが、よくしゃがみ式便器の周りが濡れている。
これは尿ではなく水だとわかった。
洗浄水を流すだけでも、かなり周りに水が散っている。
日本のしゃがみ式便器は、水が浅く溜まっている便器面に排便し、それを水で流す。
試しに模擬の便を置いて洗浄水を出すと、水がかなり周りに飛び散っていた。
(1-9)腰掛式かしゃがみ式か
排便の際、腰掛け式としゃがみ式のどちらが適しているかを調べた。
どちらが腹に力を入れやすいかを血圧で調べると、しゃがみ式の方が力が入れやすく、最大211になった。それに対して腰掛け式の場合は力が入りにくいので、186だった。
しゃがみ式の方が、自然排便に誘導しやすいということがわかった。
また排尿においても、腰掛式だと恥骨肛門筋が引っ張られて排泄を阻害し、結果的に男性の場合は残尿が生じやすい。
しゃがみ式の場合は、残尿が生じにくいということがわかった。
腰掛け式と、しゃがみ式では、それぞれに一長一短があるし、それぞれには誕生した歴史がある。
近年、しゃがみ式トイレは減ってきているが、公共トイレからしゃがみ式を無くしていっていいのかということは、検討する必要があるという気がしている。

(4)質疑
(SIさん)男性は、和式トイレしかない場合、しゃがんで排尿するのか。
(上野)私の場合は、しゃがんで排尿している。
しゃがまないと便器の中にうまく排尿できないし、水ハネも大きい。
(HOさん)コアラは母親の糞を食べると聞いている。
ハイヒールは、ロンドンで汚物だらけの道を歩くために開発されたと聞いている。
(森田)親の便を食べる動物は結構いると読んだことがある。
母乳を飲むことによって親から免疫を受け継ぐというが、親の便を食べるというのにも医学的な理由があるのかもしれない。
動物が他の動物の便を餌として食べるというのはよくある。
犬や豚が、人間の便を食べたり他の動物の便を食べたりというのはよく見られることではないかと思う。
ハイヒールの起源に関して、ヨーロッパではおまるで用を足して、排泄物を窓から外に投げ捨てていたために、道が糞便だらけだった。それを避けるために、ハイヒールが生まれてきたというふうには言われている。
ただ、今のファッション性の高いものではなく、むしろ日本で言うなら下駄に近いものであったと思う。
(小林)学校のトイレでは、先生方はトイレ用のスリッパに履き替えるものだと思っていて、トイレを新しいものにする際に、その意識から脱してもらうことが、学校の先生と喧嘩になるほど大変。
先生方は、トイレの床は汚くて、トイレ用のスリッパに履き替えないと、汚れが廊下から教室までずっと付いて来ると考えている。
今の学校のトイレの床は乾式で、昔に比べてずっと衛生的になっている。それに、トイレ用のスリッパに履き替えるということは、生徒にトイレが汚いという意識を植え付けることにもなる。そういう考え方を払拭したいと、私たち設計者は頑張るが、なかなかそれを理解してもらうことが大変。
(HOさん)UX、ユーザーエクスペリエンスという言葉がある。
マイナスのところからゼロに持っていくのは普通の快適だろうが、もっとそれ以上の快適を目指そうとしている。
トイレでの快適性というと、例えば、トイレの中に花を生けるとか、間接照明とか、そういったことかなと私は解釈しているが、上野さんのお考えを聞きたい。
(上野)今この場で即答は私には難しいかなと思う。後日、考えさせていただきたい。
(MUさん)トイレの音環境のこととか、恥ずかしさのこととかに関係して聞きたい。
日本人が排泄を隠そうとするようになった起源はいつごろにさかのぼるか。
安全を求めて物陰に隠れて排せつするといったことは、動物にはあると思うが、例えば江戸時代(17~19世紀)のトイレは、扉の上があいていて、立ったら結構見えてしまうような短い扉だったと思う。当時は、見られたら恥ずかしいという雰囲気ではなかったのではないかと思う。
(森田)江戸時代、江戸、現在の東京においては、扉は下半分だけのものが多かったが、京都や大阪では上の方まで覆っている、現在のような扉のスタイルが多かった。
江戸時代でも、やっぱり、見られるのは嫌だったのではないかと思う。
というか、そんなに大っぴらに見せていたわけではなかったのではないか。
江戸時代の好色本には、女性の排せつ行為を覗いている絵があって、そういう絵が好まれたというのは、普段見ることができなかったからだと思う。
(MUさん)江戸時代には、排せつ時の音をカモフラージュする「音消しつぼ」というのがあった。
音を消そうという考え方は、江戸時代くらいから生まれたのか。
(森田)この質問について私はあまり詳しくないが、実際に音消しつぼの音で排尿音を消すだけの効果があるのかというと、非常に疑問。
音消しつぼは、トイレから出てきて手を洗う手水鉢があるところに置かれたりしているので、私は、手洗い場所の延長線的なものなのかなという気がしている。
(MUさん)今は排便の音を、例えば水の音や音楽で消すということが行われていて、そのための機械もある。
さらに、便器に座るとその音が自動的に流れるトイレが増えている。
あれは聴覚過敏の子供にとっては不意の音で、強い刺激を受けるので、耳をふさぎたくなる。
発達障害の方は、かなりの方が聴覚過敏を持っている。
(川内)別の会合では、今のやり方は別の音をかぶせることで元の音を聞こえにくくするというやり方だが、イヤフォンのノイズキャンセラーのように、周波数をちょっとずらすことによって音を消していくという方法があるのではないかというような話が出ていた。
(MIさん)コアラやライチョウのように、消化しづらいものを食べている動物では、子供に親の便を食べさせることによって、親の腸内にある細菌を子供に伝えて消化できるようにするという生態がある。