第35回「うんと知りたいトイレの話」(2024年5月16日)グローバル・サニテーションをどのように実現するのか?

第35回セミナー「グローバル・サニテーションをどのように実現するのか?」
  • 講師
    • 原田英典(京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科 准教授)

グローバル・サニテーションをどのように実現するのか?

講演概要

(高橋)(司会)
本日は第35回「うんと知りたいトイレの話」を開催いたします.テーマは「グローバル・サニテーション(Global Sanitation)1)をどのように実現するのか」です.京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の原田先生をお招きし,ご講演いただきます.原田先生は,アフリカやアジア地域のトイレ研究に取り組んでおられ,ザンビアやウガンダでのトイレ普及や改善活動,環境改善に尽力されています.本日は,ザンビアやマラウイの農村地域の事例を通じて,Sanitationの意義を考える場としたいと思います.
1)グローバル・サニテーションは,世界規模で衛生状態を改善し,すべての人々が安全で清潔な環境で暮らせるようにするための取り組みです.具体的には,安全な飲料水へのアクセス,適切なトイレの設置,衛生習慣の普及などが含まれます.

(原田先生)
本日は,Global Sanitationの課題と私の取り組みについてお話しさせていただきます.
世界のSanitationの現状ですが,依然として多くの人々が安全に管理された施設を利用できない状況にあります.特にサハラ以南アフリカでは,4人に3人が安全なサービスを利用できず,5人に1人が野外排泄をしている状況です.ネパールやバングラデシュのスラムでは,排泄物による水質汚濁が深刻な問題となっています.
Sanitationの課題解決には,水と衛生を一体的に捉えるWASH2)の概念が重要です.
2)WASH は,Water, Sanitation and Hygiene の略で,安全な水へのアクセス,適切な衛生設備の利用,衛生習慣の実践を包括的に指す言葉です.

SanitationとHygieneは別物ですが,相互に関連しています.Sanitationは,トイレだけでなくし尿の適切な処理・処分まで含めた概念として理解する必要があります.
Sanitationの不備は,特に5歳未満児の下痢による死亡の主要因の一つとなっています.こうした現状から,SDGsのゴール6でもSanitationは重要な課題として位置づけられているのです.しかし,課題解決には資金だけでは不十分で,下水道整備の困難さやピットラトリン3)の問題など,様々な障壁があります.
3)ピットラトリンは,地面に掘った穴に排泄物を溜めるタイプのトイレです.ピットラトリンは,安価で建設しやすいという利点がある一方で,地下水の汚染,ハエなどによる病原体の媒介,臭気などの課題も抱えています.

社会全体として,Sanitationへの優先度が低い背景として,健康影響の間接性があります.トイレを設置するだけでは目に見える効果を実感しにくいのです.そこで重要なのが,Sanitationの価値を「見える化」することです.
私は,し尿の肥料利用に着目し,「物質的動機づけ」のアプローチで農村部のSanitation改善に取り組みました.し尿を尿と便に分けて処理する技術を導入したところ,便の肥料利用は農家に受け入れられましたが,尿の利用は限定的でした.その背景には,尿の肥料価値への理解不足や健康影響への懸念がありました.
一方,ザンビアの都市スラムでは,「健康面からの動機づけ」のアプローチを試みました.住民参加型の調査4)を通じて,生活環境の衛生状態を可視化したところ,住民のSanitationへの意識が高まりました.
4)住民参加型の調査とは,地域住民が主体的に調査に参加し,地域の課題やニーズを把握する調査方法です.従来の専門家による調査とは異なり,住民自身が調査の企画,実施,分析に関わることで,より地域の実情に即した情報収集が可能になります.

この取り組みを発展させ,現在はJICA(Japan International Cooperation Agency)と共同で,アプリを活用した参加型のSanitation改善プロジェクトを進めています.
Sanitationの価値を「見える化」し,地域の人々がその重要性を認識することが課題解決の鍵を握ります.そのためには,各地域の状況を踏まえた多様なアプローチが必要です.し尿の資源利用は農村部で有効ですが,都市部では別の動機づけが求められるでしょう.日本を含む先進国の人々も,排泄物の行方を意識し,Sanitationへの理解を深める必要があります.
Sanitationの課題解決に向けては,グローバルな視野を持ちつつ,地域の実情に即した取り組みを積み重ねることが肝要です.その先進事例は,日本の災害時のトイレ対策を考える上でも参考になるはずです.Sanitationは個人の尊厳に関わると同時に公共の課題でもあります.社会の関心を高め,様々なステークホルダーが知恵を出し合うことが求められていると言えるでしょう.

質疑

(高橋)
サハラ以南の地域では,先進国のトイレ事情についてどの程度認知されているのでしょうか.
(原田先生)
サハラ以南の国々の都市部では,豊かな層を中心に近代的なトイレが整備されており,スラム住民もその存在を知らないわけではありません.しかし,スマートフォンの普及と比べるとトイレの改善の優先度は低いのが現状です.その背景として, 先にも触れましたが,トイレを設置するだけでは目に見える効果を実感しにくいことが指摘できます.

(高橋)
これまでの啓発活動の効果について,何かデータや知見はありますか.
(原田先生)
現在,JICAプロジェクトにおいて定量的な検証を含む5年計画の取り組みを実施中です.啓発活動の効果検証では,客観的な情報や事実を集めて,主張や仮説を裏付けることを重視しています.加えて,トイレの設置や修理の際に影響力を持つ自治体関係者への働きかけと,日常的に利用する住民,特に若年層への働きかけの両方が重要だと考えています.

(高橋)
講演を通じて,トイレの「改善」だけでなく,その「価値」を伝える活動の重要性を学ぶことができました.原田先生のお話は大変示唆に富むものでした.

(KAさん)
下水道の普及により,し尿に含まれる肥料成分が失われ,その代わりにエネルギーを使って化学肥料に頼ることになるのではないかと危惧しています.原田先生は,この点についてどのようにお考えでしょうか.
(原田先生)
KAさんのご指摘の通り,下水処理によってし尿の肥料成分が失われるのはもったいないと感じます.欧米でも下水汚泥の農業利用が見直されつつあります.アフリカの国々では下水道の普及率自体が低いため,し尿分離型トイレのような技術の方が現実的だと考えます.特に農村部では,し尿の農業利用の実現可能性は高いでしょう.

(YAさん)
私は以前,バングラデシュのクルナで,井戸水のヒ素汚染対策として,コンクリートリングを使った雨水タンクの設置に取り組みました.その際,現地ではそのリングを使ってトイレを建設する方法が普及していました.原田先生は,その後のトイレ普及の状況をご存知でしょうか.
(原田先生)
バングラデシュのコンクリートリング式トイレ5)については,10年ほど前に現地を訪れた際,各地で普及が進んでいるのを目の当たりにしました.現地の状況に適した技術の選択と普及の重要性を再認識した次第です.
5)コンクリートリング式トイレとは、コンクリート製のリングを積み重ねて作る簡易式のトイレです。主に発展途上国で普及しており、安価で建設できるという利点があります。

(HOさん)
WASH (Water, Sanitation and Hygiene)の言葉の定義について教えていただけますでしょうか.特にSanitationとHygieneの違いが知りたいです.トイレではSanitationが主でHygieneは従の関係になるのでしょうか.
(原田先生)
WASHのSanitationとHygieneは,日本語の「衛生」という言葉で一括りにされがちですが,国際協力の文脈では区別が重要です.英語圏では,Sanitationは主に排泄物の管理・処理を,Hygieneは個人の衛生習慣を指します.トイレを清潔に保つのはHygieneですが,し尿処理はSanitationの役割と言えます.

(HOさん)
トイレ協会を含む我々日本の関係者に求められる役割についても,先生のお考えをお聞かせください.
(原田先生)
トイレ協会を含む日本の関係者の皆様には,排泄物の処理方法やその後の環境への影響を考えることが肝要だとお伝えしたいです.途上国支援では,下水道のないところでも衛生的なトイレ環境を作る工夫が求められます.日本の伝統的な汲み取り式トイレや簡易水洗トイレなどの応用可能性は大いにあると考えます.
また,高齢者・障がい者への配慮,女性の生理対策など,きめ細やかな課題にも目を向ける必要があります.学術的にもジェンダーの視点からSanitationを捉える動きが活発化しつつあります.
Sanitationをめぐる課題は山積していますが,日本の叡智を結集し,グローバルな連帯の下で一つひとつ解決していくことが重要だと考えます.本日の講演が,その第一歩となれば幸いです.ご清聴いただき,ありがとうございました.