第32回「うんと知りたいトイレの話」(2024年2月15日)
「能登半島地震緊急報告」
●講師
(1)「能登半島地震 現地の状況」
講師:高橋 未樹子 日本トイレ協会理事/コマニー(株)研究開発本部研究開発課 課長
(2)「輪島市のトイレと水道」
講師:田中 友統 日本トイレ協会運営委員/ニッポー設備(株)代表取締役
(3)「災害時のトイレ」
講師:寅 太郎 災害・仮設トイレ研究会事務局長
(4)「令和6年(2024年)能島半島地震携帯トイレ支援について」
講師;西村 賢 日本トイレ協会法人会員/災害・仮設トイレ研究会会員(株)総合サービス
高橋 未樹子
(1)「能登半島地震 現地の状況」
(高橋)1月1日に起きた能島半島地震による石川県の各地域の被災状況と、1月7、8日に避難所になっていた輪島中学校に炊き出しに行った際の状況と、1月18日からは七尾市能登島で民宿や民家の片付けボランティアに行ったので、その状況について話す。
石川県は縦に長く、私の会社のある小松市は一番南にあり、今回、被害が大きかった能登半島の輪島までは130キロぐらい、珠洲市までは170キロぐらい離れている。
小松市から30キロぐらい北に行ったところに金沢市があり、さらに10キロぐらい行ったところに、内灘町がある。
(1-1)石川県の被害の全体像
小松市は震源地から100キロ以上離れているが、社内の棚から書類が落下し、床に散乱した。棚は固定していたので、倒れなかった。
断水になり、全てのトイレや水が使えるようになったのは1月8日だった。
エレベーターが使えるようになったのは1月19日からで、会社の建物の中でも、未だに立ち入り禁止エリアがある。
ただ、小松市も金沢市も、被害が出ているところはある程度限られた地域なので、問題なく日常生活を送っている。
金沢から10キロぐらい北の内灘町は、地盤の液状化が起こり未だに水が出ない。
輪島市では大きな火事が起こった。輪島市や珠洲市は倒れている建物が多すぎて、感覚が麻痺して、倒れているのが当たり前ぐらいに思えるような状況だった。
輪島や珠洲まで行く道路も被害が大きい。もともと能登半島地方に行く道は多くはなかったが、限られた道に亀裂が入って、寸断されてしまって、通行が今でも制限されている。
金沢から輪島まで行くのに通常は2時間半ぐらいなのが、発災後交通規制が敷かれるまでは、12時間以上かかった。
(1-2)輪島中学校
発災1週間後の、1月7、8日に輪島中学校に炊き出しに行った。
輪島中学校は、当時1000人ぐらいが避難していて、輪島市の中では一番大きな避難所だった。
校舎は、2018年に新しくできたもので、トイレは全て洋式で、大きな救いだった。
1月4日から電気は通ったが、水道は未だに断水なのではないか。
救援物資は七尾や穴水まではたくさん届いていたが、輪島はそこよりももう少し北にあり、道路の状況が良くなくて、まだまだ足りないものが多かった。
輪島市の物資拠点に届いた物資は、そこから各避難所に届けられるが、各避難所のニーズを把握できていないということと、避難所に届ける人手がないということで、届けられる物資もだいぶ偏りがあった。
輪島中学校に物資は届いていたが、避難所を運営する市の職員が忙しすぎて、仕分けをする時間がなくて、そのまま積まれていた。何がどこにあるのかがわからない状況だった。
生活用水と灯油が全く同じ容器で運ばれていて、灯油だと思ってストーブに入れたものが水だったために、どんどんストーブが使えなくなった。
テレビなどで必要な物資が紹介されたので、飲料水、おむつ、生理用品、携帯トイレ、使い捨てカイロは大量に届いていた。
輪島市は、高齢化率が高いので赤ちゃんはあまりいないのに、子どものおむつが大量に届いていた。避難所によって、また時間の経過によって、必要な物資が全然違うのに、今、避難所で必要なものの情報が伝わっていなかった。
私が行ったときの輪島中学校で、今必要なものは何かと聞いてみると、一番真っ先に出てきたのが、下着(パンツ)とズボンだった。
高齢者が多いのと、トイレ環境が良くないために、排泄をギリギリまで我慢していて漏らしてしまう方もいる。
下着が汚れてしまって、普段は使っていないのに、下着代わりにおむつをはいている方もいた。替えのズボンがなくて、おむつのまま毛布にくるまっているおばあちゃんもいた。
お風呂に入れなかったこともあって、皆さんからパンツの要望は高かった。
下着が替えられない、お風呂に入れないという状況の中で、女性にはおりものシートが喜ばれた。
輪島中学校には約1000人が避難していたが、私が行った日の1月7日の夜に届けられた晩御飯は、おにぎりがたったの150個だった。まったく足らない。幸い電気は通っていたし、備蓄のコメもあったので、自分たちでお米を炊いて、レトルトカレーを配った。
カセットコンロはめちゃくちゃ助かった。
翌日の朝ご飯は届かなかった。翌日の昼に届いたおにぎりは450個で、数は足りないし、全てが賞味期限切れだった。
寒いので、温かいものとしてカップラーメンは非常に喜ばれていた。ただ、同じ味ばかりなので、1週間経って、飽きてきているという状況だった。
野菜不足で便秘になった人がいたり、逆に便秘薬を飲んで下痢になったという人もいた。
飲料水はたくさん届いていたが、時にはジュースのような味のある飲み物が欲しいという要望もあった。
1月6日に行った七尾の避難所では、プライベート空間が欲しいという要望があった。弊社はパーティションメーカーなので、避難所まで届けた。
輪島では、まず生きること、食べることに精いっぱいで、避難所の環境を改善するためにパーティションが欲しいというような要望は、聞いてみたけど出てこなかった。
ただ、名古屋工業大学の先生が開発したダンボールハウスが輪島中学校にも届けられて、女性の着替え場所に使われていた。
学校の教室や体育館の床で寝ているので、床が冷たいし硬いしということで、物資の入れ物だったダンボールが、とても貴重品だった。床にダンボールを敷いて、毛布を何枚も重ねて硬くない状態にして寝ていた。
椅子やベッドがないので、お年寄りの方が立ち上がりに大変苦労していた。
私が行った7日の夜からは、体調不良者が続々と出てきた、下痢をしたり嘔吐をしたりということで、7日の夜は1晩に救急車で5人の方が運ばれた。
病院は患者がいっぱいで、病院に行っても点滴だけ打ってもらって皆さん帰ってきて、また吐いていた。この状況は8日になるとさらに広がった。
感染が広まることが非常に心配されたので、嘔吐物の処理は輪島市の職員だけに限定していた。そのため、市の職員は、嘔吐物の処理に走り回っていた。
7日に、体調の悪い人を隔離する部屋を作ったが、8日になると、その部屋に入りきらなくなってしまった。
医療チームが来て、土足禁止エリアを設けて、校舎の3階を隔離フロアとしてくれた。
どの災害においても、避難所で感染者が出るので、感染対策の物資も必要だと思った。
避難所は輪島市の職員が6名程度で、交代で運営していたが、この輪島市の職員も被災者で、避難所の運営の人手が全く足りていなかった。
避難所の運営を手伝う外部からの人を、早い段階から送り込むような仕組みが必要だと思った。輪島市の職員は、食事をとる時間がなくて、チョコレートとかを口に放り込んで走りまわっていた。私が帰った9日以降に、他の自治体から避難所運営の支援が入ったと聞いている。
(1-3)輪島中学のトイレ
輪島中学校には、1月5日に仮設トイレが設置された。
ただ、屋外にあるので寒いということと、和式なのでお年寄りには使いづらいということで、実際に使っている人はあまりいなかった。
仮設トイレを開けて中を覗いてみたが、仮設トイレが汚れているということはなかった。
校舎のトイレが全て洋式だったので、そこで携帯トイレを使っていた。
24時間、ボランティアや避難者がトイレに滞在して、使い方を教えたり、汚物の管理をしていた。汚物を触る人を限定したり、衛生面は徹底的に気を配っていたけれど、やはり被災後1週間で感染者が続々と出てきていた。
携帯トイレは使うとゴミになる。この当時はゴミ収集が行われていなかったので、校舎の外は使用済み携帯トイレと生活ゴミの山ができていた。
1月7日に、宇和島市からトイレカーが来た。
トラックの荷台がトイレになっていて、昇降機がついていたので、お年寄りや、歩行器や杖を使っている方に非常に喜ばれていた。ただ、日中は係員がいて、昇降機の使い方を説明してくれていたが、夜になるといなくなっていて、運用に問題があった。
(1-4)能登島の状況
1月18日からは、コマニーとして、NPO法人のユナイテッド・アースいうボランティア団体と一緒に、能登島の民宿や民家の片づけに行っている。
能登島は七尾市の東側にある島で、能登半島には2本の橋がかかっている。このうちの1本の橋は未だに通行止めなので、1本の橋しか今は使えない。
七尾市中心には物資がたくさん届いていたが、能登島には水も食べ物も十分には届いていなかった。
能登島は輪島や珠洲に比べるとだいぶ被害は少ないが、家が倒れていたりするところもあった。
能登半島では、2007年にも震度6強の大きな地震があった。
私が片付けに入った家では、2007年の地震で、家の中の家具が倒れ、家財道具が散乱した。ところが、お年寄りの一人暮らしなので、ご自身で片付けることができなくてそのままで暮らしていた。2023年5月に、また震度6強の地震があって更に散らかって、今回の震度7の地震でさらに散らかったというような状況だった。
能登島は非常に高齢者が多い島なので、ご自身で買い物が難しかったり、物資を持ってきてくれる人がいないというような高齢者はとても苦労している。
七尾市のLINEに登録すれば、いろんな情報が入ってくるが、スマホを使っていない方も多くて、情報が入ってこない。
片付けのボランティアもどこにお願いしていいかわからない。私が行った家では、床が隆起したり壁が崩れたり、一部の天井が落ちかけた、崩れかけの家で生活していた。
能登島は断水が続いていて、解消できるのは4月以降と言われている。
(1-5)まとめ
市の職員も被災者なので、外部から応援の人がいない状態で避難所を運営するのは無理がある。
避難所格差が大きいので、ニーズの情報が統括できるようになればいいと思う。
自宅や車など、避難所以外で暮らしている人たちには物資が届きづらい。
道路の損傷が激しいので、車で移動中に恐怖を感じる場所もあった。
断水はめちゃくちゃつらい。
私も、2泊3日で行った際に、トイレを気にして、ほとんど水分をとらなかった。
食事も控えたので常に空腹で、たった数日で、「流水で手を洗いたい」「ゴクゴク水を飲みたい」「食べ物をいっぱい食べたい」と強く思った。
いま被災地で足りないもの・喜ばれるもの トイレットペーパー、飲料水、水以外の飲み物、パックご飯、ごはんのお供的な物、カップのお味噌汁、紙コップ、紙皿、割りばし、サランラップ、歯磨き粉、ボディクリーム
田中 友統
(2)「輪島市のトイレと水道」
(2-1)支援活動の概要
(田中)私は、ニッポー設備(株)という、給排水や空調の工事をやる会社の代表。
2011年の東日本大震災の時に、技術職としてのボランティアで現地に行った。
その後も熊本県や千葉県で、地震や台風の被災地にボランティアで支援してきた。
現地に行く際には、ニッポー設備株式会社災害支援隊というグループを組織して行く。
まず現地確認のために、1月13日から15日に2泊3日で、先遣隊として私一人で行ってきた。14日には大雪が降った。
東京に帰ってきて1月16日、月曜日に材料、資材等を発注した。併せて、被災地に行くメンバーを募り、19日~22日に第一陣として、4名のチームで被災地に行った。
2月2日~4日には第2陣として8名で行った。
悪路に強い車をスタッドレスタイヤを装着した状態で持っているので行きやすかった。プラグインハイブリッドで、エアコンを動かせるほどの強い電気を出すことができる。
被災後1か月以上が経った2月3日でも、輪島市の中心部に近いところにおいても、倒壊した建物で道路がふさがれているところがあった。
倒壊した建物を片付けるには、持ち主の了解が必要。思い出の品物がいろいろ詰まっているので、機械を使って一気に片付けることができない。
ただ道路は回復してきていて、1月13日に先遣隊で行ったときは9時間ぐらいかかったが、第2陣のときは8時間ぐらいで行くことができた。
資材代や交通費、生活用品代など、150万円ぐらいは自腹を切った。
水を1000リットル入れられる農業用のタンクと、家庭用のポンプを持って行った。このポンプは通常の100ボルトのコンセントで動かすことができたり、モバイルバッテリーで、動かすこともできる。
タンクに水を溜めることさえできれば、このポンプで水を送ることができる。
(2-2)施工例
ある障害のある人のグループホームでは、タンクに水をいっぱい入れて、屋外にある散水用の水栓につなぎ、そこから建物の中にポンプで水を逆送させて、水道が使えるようにした。トイレも水を流すことができるようになった。
電気も来ていたので、お湯も使えるようになった。
輪島市の市役所のすぐそばの河井小学校の体育館、ここは避難所になっていて、プールから水を引っ張ってトイレに流す工事をやった。
ここは停電していたので、モバイルバッテリーでポンプを動かして、トイレに水を供給できるようにした。掃除用の蛇口も1箇所作った。
農業用タンクと家庭用ポンプを使うやり方には、長所と短所がある。
長所としては、機材が軽いし、工事も比較的簡単にできる。
短所としては、ポンプの値段が1台10万円ぐらいかかり、何台も必要になるということと、タンクに入れる水がないと使えない。
水が得にくいところでは、給水車で供給してもらったりしている。
建物内部の給水配管が壊れていると使えないので、もし壊れていた場合は、私たちが別の配管を行って、何とか使えるようにする場合もある。
また、排水管が壊れていたら、水そのものが使えない。
(2-3)まとめ
私たちが車中泊する場合、寝袋だけだと寒いので、電気毛布をモバイルバッテリーにつないで使うと、車のエンジンをかけなくても、かなり快適に眠ることができる。
トイレに行くには外に出なくてはいけないので、つい水分摂取を減らしてしまう。屋外の仮設トイレには照明がないので、ヘッドライトのような、両手が使える照明器具が便利。
お風呂に入れないのは、だんだん心身ともに下向きになってしまう。
カセットガスコンロは、暖かいものを食べられるので、とても便利。
【田中氏への質疑】
(川内)モバイルバッテリーについては、車から充電していたのか。
(田中)私の車は充電できる。輪島に関しては、電気が復旧している場所が多かったので、建物のコンセントから充電をすることもできる。ほかに太陽光パネルで充電することもできる。
(OSさん)下水についての修理はどういう状況だったか。
(田中)下水に関しては、建物さえ動いていなければ、使える状態が多かった。
地盤が液状化してマンホールが飛び出しているような場所は一部で、基本的には下水が通っていたという印象だった。
小さな集落では、その集落用の合併処理浄化槽を設置している場所もあったが、この浄化槽につながる配管が壊れていて、ほとんど使えなくなっていた。
水道に関しては、耐震化はしていて、道路に設置してあるメインの管は非常にいい管を使っていたが、そこから各住宅に入っていく管が、古い管を使っている場所が多くて壊れていた。外部から応援に来ている自治体職員及びその請負業者が、一つ一つ掘り起こして修理していた。
輪島市に関しては、かなりのペースで断水の解消が進んでいるような印象がある。
(HOさん)政府は、現地からの要求がなくても支援を送り込む、プッシュ型という対応を行っていると聞くが、実態はどうだったか。
(田中)現地には、自衛隊、消防職員、警察官、医療スタッフがたくさん来ていた。
人はたくさんいるが、家が倒れて道をふさいでいるけど家主の同意なしでは簡単には片づけられないといった事情で、作業が進まないというような状況が多かったと思っている。
寅 太郎
(3)「災害時のトイレ」
(寅)日本トイレ協会の災害・仮設トイレ研究会の事務局をやっている。
平常時は、経産省と、災害時の対応についての打ち合わせを、日常的に行っている。
それを会員と他の団体にも共有している。
大規模災害が発生したときは、経産省と連絡を取り合うが、日本トイレ協会は業界団体ではないので、経産省からの物品の発注とか、ビジネスに関することは、加盟各社と経産省が直接やり取りをして、連絡を取れたところから順に対応する。
メーリングリストができていて、経産省からの緊急時の連絡は、1回のメールで関係企業に連絡が取れるようになっている。
国土交通省の資料によれば、発災後1日くらいでマンホールトイレが準備され、3日目以降くらいから仮設トイレが配備され始めるが、すべてのトイレニーズをカバーできないので、携帯トイレや簡易トイレを日常的に備蓄することが必要となる。
仮設トイレについては、東日本大震災のときの日本トイレ研究所のデータによれば、発災後4日から7日で5割ぐらいの場所に届けられている。
今回の能登半島地震は1月1日に発災したが、経産省からのプッシュ型支援要請への対応が一番早かったA社では、2日の夜には、携帯トイレを3万回分納入している。
他社のも加えると、8日までに47万回分を災害支援センターまで届けている。
仮設トイレについては、お正月で各企業が休みだったこともあって、全国的からかき集めるというよりは、石川県や近隣の県の在庫を持っていかざるを得なかった。そのために、建設現場で日常的に使う和式トイレが主になったが、331棟が8日までに配送された。
西村 賢
(4)「令和6年(2024年)能島半島地震携帯トイレ支援について」
(西村)弊社、(株)総合サービスは、1982年に設立した会社。日本トイレ協会の法人会員で、災害・仮設トイレ研究会のメンバーでもある。
事業内容は、防災、医療介護、環境、公共商業施設における、トイレに関わる衛生設備機器の製造販売を行っている。
(4-1)対応の概要
今回の能登半島地震は1月1日の16時10分頃に発生した。
17時51分には、日本トイレ協会事務局と、加盟している各メーカーに、災害対応が発生する可能性があるという一報が、メールで送られてきた。
22時42分に経産省より再度、災害用トイレに関しては2日以降に調達要請が出される可能性が高いというメールが入った。
翌日の2日に経済産業省から、災害用トイレを輸送する際のトラックの条件について、メールで一報が入った。しかも、早々に返答を願うという求めがあった。
正月2日で企業活動が休止しているときなので、出荷の手配が可能な車両と携帯トイレの出荷数を調べて経済産業省にメールで返答した。
すると、経済産業省の担当係長より、すぐ電話が入った。今回の地震では、政府は強力なプッシュ型支援を行うとのことだった。
2日の12時半に、支援が確定というメールが入り、金沢市の産業展示館に運ぶようにとの要請だった。
弊社は東京の会社だが、工場は静岡県の富士市内にあり、そこから金沢に向けて出発した。トラックドライバーは、4時間以上走行する場合は、休憩を30分以上取らないといけない。15時に工場を出発して、450キロ離れた金沢産業展示館に1月2日21時40分に届けた。
金沢産業展示館から自衛隊の小松基地に車で移送して、22時半には小松基地から輪島市、珠洲市にヘリで輸送されたと聞いている。
1月4日午前にも経産省から追加支援要請が入り、18時に工場を出発した。今回も金沢産業展示館への配達で、24時15分に納品を完了した。
最も被害の深刻な輪島市と珠洲市には行けなかったが、七尾市と志賀町の数ヶ所を回り、弊社の携帯トイレの使い方を説明した。ある避難所では、使用方法が理解しやすいように、実際の便器に取り付けたものを展示していた。
(4-2)今後の課題
1)大規模地震が想定されていない地区での被災
今回は発生確率予想が高くない地区での大地震であったため、防災意識が低く、事前対策もあまりなされていなかった。そのため、支援活動などがスムーズではなかった。
経済産業省は、県や自治体で必要なものをプッシュ型支援として送り込もうと想定していたようだが、何が必要かわからないという答えだったらしい。
国はプッシュ型支援を発災の数日後に開始すると想定していたが、今回の被災地では被災直後の自助や共助が機能していなかった。我々としても、被災直後の自助や共助を促すような啓発活動が必要だと思っている。
2)遠隔地へのスピーディーな支援の限界
物資輸送の大動脈である道路が使用不可になって、迂回路が限られると、ナビを頼りに行けなくなる。普段、ナビに大きく依存しているので、スムーズな支援に支障をきたす。
3)働き方改革、長距離輸送条件及び2024年トラック問題
以前は正月でも営業しているところがあったが、今は働き方改革できちんと休みを取っている。そんな正月に起きた震災だったので、経産省も連絡がつかない企業が多かったと聞いている。物資があって、車があってもドライバーがいないとか、ドライバーがいても車の都合がつかないといった問題が起こる。また運転手も長時間の運転では必ず休憩を取らなければならないので、配送にかかる時間が長くなる。
4)携帯トイレ備蓄率の低さ
災害・仮設トイレ研究会では2017年から3年ごとに家庭での携帯トイレの備蓄率調査を行っている。2017年が15. 5%、2020年は19. 5%、2023年で22.2%と、伸び率は低く、備蓄率は十分とは言えない。
ちなみに、食べ物、飲み物の備蓄率は50%ぐらいあるので、その約半分しかない。
災害・仮設トイレ研究会では、経済産業省、日本トイレ協会と協力して、携帯トイレの備蓄を推進している。公助が届くまでには時間がかかる。被災直後の自助・共助のために、携帯トイレの備蓄率を向上させる必要がある。
(川内)トイレは、1人が1日に大体5回行く。1週間分の備蓄としては、35回分が必要で、4人家族だと140回分の携帯トイレを備蓄しておく必要がある。
【質疑】
(HOさん)プッシュ型支援の手順を知りたい。
(西村)経産省からは、協定を結んでいるメーカーに対して年に2回ほど、供給できる数量のアンケートがあって、その折に供給できる数量と値段を伝えてある。
その数字をベースに、災害時に対応できるかどうかの問い合わせが来る。
(川内)被災地に大量の携帯トイレが送り込まれているということは、それだけの使用済みの携帯トイレが、被災地では廃棄物として出てくる。
携帯トイレに入っている吸水性ポリマーは、ポリマーの品質によってはまた水に戻ってしまうとか、大便だとガスが発生して、袋が破裂することがあると聞いたことがある。
(寅)総合サービスの携帯トイレは、ビニール袋の中におむつ用の給水パッドが入っているようなものになっている。これは性能が良い商品で、それ自体が液体に戻るのには時間がかかるし、簡単には漏れ出してこない。ビニール袋も、劣化については10年ぐらい持つような製品を使っている。
ネットとかで、安い商品があるが、それは備蓄しておいても、いざというときにはビニールが劣化して使えないものもある。研究会としては、商品の規格の統一など、技術的なところもやっていきたいと思っている。
それからごみの回収の際に、一般ごみと汚物が分別されていないと大きな問題が起こる。
行政の災害時の対応において、真っ先にゴミの分別が課題になるので、トイレ協会としては、災害マニュアルの中で細かいところまで整理していきたいと思っている。
(川内)高橋未樹子さんのお話で、たくさんの人が吐いていたという報告があり、感染症の問題が懸念される。簡易トイレの廃棄物を集めるときに、袋を潰してしまうと、汚物が飛散して、収集する人にも感染が広がったりするというような話も聞いたことがあるので、分別というのは非常に重要だと思う。
(寅)非常時に役立つトイレには、携帯トイレ、簡易トイレ、マンホールトイレ、仮設トイレ、トイレカー、トレーラートイレなどがある。
携帯トイレには便座がついていない。トイレなりイスなり、何か座るところにセットして使うという想定。
簡易トイレは、便座の部分がダンボールとかプラスチックとか折りたたみ椅子のようなものでできていて、普段は小さく折りたたんで備蓄しておく。
各家庭では便器の便座が使えるので、携帯トイレの備蓄が適している。避難所などでは、和式便器しかなかったりするので、便座のある簡易トイレがいいと思う。
マンホールトイレは、自治体が設置する。被災時には地面のマンホールの上に便器と囲いを組み立てて使う。マンホールトイレ用のマンホールを造り、普通のマンホールの細い管だとすぐに埋まるので、マンホールトイレ用の地下設備も造られているものが多い。
仮設トイレは工事現場によく置いてあるトイレ。国交省は中が広くて、居心地の良いトイレとして「快適トイレ」というのを推奨している。
工事現場のトイレは昔からの和式トイレが多く、被災地の高齢の人や障害のある人は使えない。皆さんから洋式だとか車いす対応が必要だとかの声を挙げてほしい。
それと、車の荷台にトイレがセットされているトイレカーというものもある。
それから、牽引式のトレーラートイレというのもある。これは今、全国の市町村で20数ヶ所導入していて、ネットワークが作られていて、被災地に派遣されてくる。
しかし、トレーラートイレを持っている市町村が現地に派遣すると決めるまでに数日かかり、決まってから出発するので、少し日数がかかる。
今レンタル会社で持っている仮設トイレは和式が74%。洋式は26%しかないので、どうしても初動としては和式しか届かないのが現実。メーカーの製造は今、快適トイレが半分ぐらいあるが、全体の中でいくと、今でも和式が多い。
イベント会場の仮設トイレに和式しかなかったら、洋式にしてほしいと、皆さんに声を挙げてほしい。避難所にも洋式が必要だとの声が欲しい。
皆さんからいろいろな意見をもらえたら、そういうものを国とかに反映していきたいと思っている。