第28回「うんと知りたいトイレの話」(2023年9月14日)「赤ちゃんの排泄を考えよう~なぜ今おむつなし育児なのか?~」

「赤ちゃんの排泄を考えよう~なぜ今おむつなし育児なのか?~」

(1)なぜ今おむつなし育児なのか?-紙おむつの長期&長時間使用をめぐって子どもに起きていること-

(和田)私は現在はフリーで、子育て支援の分野で活動をしている。
私の仕事の大きなテーマは、親子のコミュニケーションということで、色々な講座をやったり、講演会をやったり、保育保健医療系の雑誌に執筆したりしている。
私は、20代の頃は保育園で保育士をしていた。30代40代の20年間は、アジアやアフリカ、中南米で、「母子保健」という赤ちゃんとお母さんの健康を改善する分野での国際協力に携わっていた。
現在、私が所属している団体、おむつなし育児研究所は、赤ちゃんからお年寄りまで、人生の最初から最後まで排泄の尊厳を大切にできる社会を目指している。(https://www.omutsunashi.org/)

赤ちゃんのオムツは、赤ちゃんのためにあるのではなく、大人が、家や服などを赤ちゃんの排泄物で汚して欲しくないからつけていただいている、という表現が正しいと思う。
グローバルサウスと呼ばれるアジアやアフリカの、特に田舎の方に行くと、おむつらしいものをほとんど使わないで育つ赤ちゃんが今でもたくさんいる。
日本も昔はそうだった。
赤ちゃんは、本当はおむつが嫌い。
月齢が低い赤ちゃんは、オムツ交換でオムツが外れると、すごく嬉しそうに体を動かす。
世界にはおむつを使わないで育っている赤ちゃんの方が、人口としては今でも多いのではないかと思う。
おむつ外し、いわゆるトイレトレーニングというものが日本だと普通に行われているが、実は本当は不要なこと。

フィリピンのセブ島の沖の、人口600人ぐらいの小島で、観察調査を行った。
こういったアジアとかアフリカの田舎にも、今は、紙おむつが入ってきている。
しかし高価なので、今でも赤ちゃんはおむつを使っていない。
それでも抱っこしている母親が排せつ物まみれになることはない。
抱っこしていると、赤ちゃんの排泄の気配がわかるので、すぐにその場で排泄させる。こうして赤ちゃんは、自然な開放空間で排泄をして育っていく。
そして、1歳過ぎて自分で歩けるようになると、排泄したくなったら家から出ていって、外で用を足す。排泄していい場所も知っている。これができるようになると、排泄の自立は完了している。
こういった途上国の田舎では、トイレトレーニングは不要で、その概念さえ、ない。
人間の子どもがおむつをしないで、動物としての自然な排泄をしていると、だんだん溜めて出すという排泄をコントロールする体の感覚が発達していく。1歳終わりぐらいで社会性が芽生えてくると、周りの人のやり方を真似して、トイレで排泄ができるようになっていく。これが本来の人間の子どもの育ちの姿。
なので、トイレトレーニングをしなくても、自然にトイレで排泄できるようになる。
日本も昔はそうだった。

トイレで排泄できるようになるということには、二つの大事なポイントがある。
一つが、おしっこを溜めて出すという身体感覚が発達するということ。
もう一つは、トイレで排泄できるようになるという、社会性の発達。
この二つは全然別のこと。
身体感覚の発達は排泄物を溜めて、開け放たれた空間で出すということ。これが発達するためには二つの感覚が発達している必要がある。
一つが内受容感覚と呼ばれる体の内部の感覚。おしっこだったら膀胱に溜まったとわかる感覚。
もう一つが外受容感覚と呼ばれる体の外で感じる感覚。五感。
この二つの感覚が脳の中で統合されると、おしっこが膀胱に溜まったことを脳が感知して、しかしその場で垂れ流すのではなく、溜めて、適切な場所で出すことができるようになる。
この生理的な感覚には、知的な発達はあまり関係ない。
例えば、知的な障害があったとしても、すごく遅れるということはない。
身体感覚の発達と並んでもう一つ大事なのが、社会性の発達。トイレという社会が決めた場所で排泄ができるようになること。まず身体感覚が発達して、その上で、社会性が発達していく。
別の言い方をすると、身体感覚が発達していれば、他者の行動を真似て、トイレでの排泄は自然にできるようになっていく。
排泄自立の年齢は、日本では3歳後半が、昼間のおむつが外れる年齢になっている。
一昔前は日本でも2歳前後が、排泄が自立する年齢だった。
これは、途上国の、おむつを使っていない子とそれほど変わらない年齢。
今から60年前の、私の母子手帳では、1年6ヶ月のところに、しつけがよく行われていると大小便をあらかじめ教えると書いてある。このしつけというのは、おそらく、おむつの中で排泄することを習慣化させないような世話をしていれば、という意味だと思う。

ではなぜ、今の日本では、トイレトレーニングが大変な作業になっているのか。
今、幼児を育てている保護者の悩みのトップ3の一つが、おむつが全然外れないということ。小学校になっても、夜尿ではなく、昼間のおむつが外れないという人が増えている。
理由は明白で、生まれてから何年も、おむつの中で垂れ流すということを学習させてしまうから。
その結果、子どもはおむつの外で排出するという、本来動物として自然な感覚を失ってしまう。さらに、おむつをしていると、いつ排泄しても大丈夫なので、膀胱におしっこをためる感覚が育たない。
それで、3歳とか4歳になっておむつを外してトイレでさせようとしてもうまくいかないので、保護者がとても深刻に悩む。
身体感覚の発達が未熟なのに、そこを飛ばしていきなりトイレで排泄させようとするから難しくなる。
身体感覚の発達の中で、特に大事なのが外受容感覚。体の外部に排せつ物が出るというのはどういうことなのかをちゃんと認識するということ。おむつをしていると、排せつ物が外に出るところが目で見えない。これは致命的な問題。
排泄時の音も聞いたことがない。その状態が生まれてから3年も4年も続くので、脳が、排泄物が出るとはどういうことなのかを、はっきりと認識できない。
さらに、生まれて何年もの間、おむつの中で排泄する方が子どもにとって心理的に安心な状態になってしまっている。
その結果、3歳すぎて言葉も普通に話せて、コミュニケーションも取れるのに、トイレで排泄できない、ということが起こる。
トイレトレーニングは絶対必要なのではなく、するかしないか、どうやるかは、選べる。
生まれてまだ月齢の低い赤ちゃんは、おむつ交換のためにおむつを開くと、そのときに放尿する。これが動物としての人間の本来の自然な姿。開放空間で排尿するという能力をちゃんと持って生まれてきている。
しかし大人は、おむつの中に排泄させたくて、おむつで蓋をしてしまう。
赤ちゃんは、排泄はおむつの中でするものだと、一生懸命学習する。
なので、1歳近くになると、だんだん、おむつを開いた時に放尿しなくなっていく。
そうやって育てられて、2歳とか3歳になって、ある日、「おむつの中ではなくて、トイレで排泄しろ」と大人から言われる。
その頃には、おむつの中ですることに慣れてしまって、おむつの外で排泄する能力をほとんど失ってしまっているので、おむつの外で排泄するということを再学習しなければならない。
この再学習がうまくいかないと、おむつを外すのが難しくなる。
一方で、おむつはほとんど使わないで、開放空間で排泄をして、常に排泄を五感で感じていると、自然に排泄が自立していく。
アフリカやアジアの田舎で育つ子のような「おむつを使わない」という方法ではなく、普段はおむつをしているが、排泄しそうなときだけおむつを外して、開放空間で排泄させるやり方がある。これを「おむつなし育児」と呼んでいる。おむつは使うので、「おむつに頼りすぎない育児」というのがより正確な名称かなと思う。この方法であれば、日本のような住宅環境でも実施可能である。
おむつを長期間使用する弊害の一つは、おむつ外れが遅くなること。

昔の育児雑誌から、大人が赤ちゃんのおむつをいつ頃外していたのかという月齢を調べた。
その結果わかったのは、今から80年ぐらい前までは、生後半年ぐらいで外していた事実。そして、2009年に紙おむつメーカーが行った調査では、おむつが外れる平均月齢が生後40か月(3歳4ヶ月)だった。
いま、本来ならばおむつが外れているような年齢の子ども、あるいは小学校に入っている子どもの、昼間の尿失禁が増加している。
便秘の子どもも増加している。
その原因の一つとして、紙おむつの長時間、長期間使用が関わっている可能性があるのではないかという指摘がある。
これは日本だけではなく、海外でも、特に先進国を中心に、特に障害があるわけでもないのに昼間に漏らしてしまうという子どもが増えているという研究がある。
もう一つ、おむつの長時間使用のリスクとして、重たすぎる紙おむつ問題というのが言われている。
紙おむつの性能が良くなって、尿を大量に吸収できるようになったため、おむつを長時間換えない保護者が増えている。
そのため、重たくなった紙オムツをつけて歩いている子が増えている。それが、子どもの足腰への負担になり、非常によくないのではないかという指摘がなされている。
もう一つ、子どもが大きくなってもオムツが外れないことで、親子関係が悪化するという問題がある。子どもに虐待に近いような扱いをしたり、育児に悩む親が増えている。
近年は、オムツが取れるのが遅くて、子どもに虐待をしてしまって逮捕されるというケースが、1年とか2年に1回ぐらいは報道されるようになっている。でもこれは氷山の一角で、私のところにも、お母さんたちからの悩み相談がじわじわと増えている。
なので、最近、「3歳過ぎても『おむつが全然外れない!』と思ったら最後に読む本」という本を電子書籍で出した。
先述したおむつに頼りすぎない育児、日本では略して「おむつなし育児」と呼んでいるが、これは、日本で、紙おむつのない布おむつだった時代から行われていた。
布おむつの時代は、洗濯とかも大変だったので、濡れたおむつはできるだけ少ない方が良いという親の希望があった。また、おむつの外で自然な排泄をする方が、子どももおむつかぶれしにくいし、便秘にもなりにくいということで、早めにおむつの外で排泄をさせるということが奨励され結構行われていた。
開放空間で排泄するという感覚を忘れないようにすることがポイントで、場所は、オマルでも、トイレでも、家の庭でも良い。
おむつの外、開放空間でするのが動物として自然だという経験を赤ちゃんにさせてあげるのが「おむつなし育児」。
赤ちゃんが排泄しそうなタイミングは、だいたい決まっている。寝起きとか、おんぶか抱っこをされていて締め付けられていたのが解放されたときとか、おむつを開けたときとかで、その時におむつを外してあげれば良い。
月齢が低い赤ちゃんはおしっこをしたくて泣くことがあるので、そのサインを読み取る。他にも様々なサインがあり、それは赤ちゃんによっても月齢によっても変わっていくので、それに注意しておく。

「おむつなし育児」とは、おむつを使わずに垂れ流しさせる育児ではない。
人間の子どもが本来持って生まれてきている排泄能力の発達を妨げないようにすること。
「おむつなし育児」は、紙おむつを否定しているのではない。
清潔とか除菌とか殺菌とか、そういうことに非常に気を使うようになった今の世の中では、やはり紙おむつは必需品。その紙おむつをどのように使ったら、子どもが本来持っている排泄能力の発達を妨げないようにできるかということを考えることが重要。
今、「おむつなし育児」が注目されているのは、赤ちゃんや高齢者といった社会的に弱い立場にある人たちの排泄に心を寄せて、人生の最初から最後まで気持ちよく排泄できる、排泄の尊厳を大切にしたいと考える人が、じわじわと増えてきていることが背景にある。

(2)子どもの発達と排泄支援

(村上)排泄の自立時期は、1960年代と比べると、相当遅くなっている。
1960年代に比べると日本の生活様式は凄まじく変容しており、それが子どもの発達に大きく影響している。
排泄に関する発達も同様である。
例えば、昔に比べて住宅事情が変化して、子どもが屋外で簡単に排泄できるような庭もなくなっている。
また昔はおんぶや抱っこをしていて、身体伝いに子どもの排泄欲求を感じて敏感に反応できたと考えられるが、現在はベビーカーを使ったり、ベビーベッドに寝かせておくことが多くなった。一緒にいても身体が触れ合っていない時間がだんだん増えてきている。
保育園での排泄支援の様子はどうか。保育士に対するアンケート調査では園児の排泄の自立時期は2歳半から3歳という回答が最も多かった。
排泄の自立の遅れの原因として、紙おむつの普及が挙げられることが多いが、先行研究では紙おむつとの関連は明らかにされていない。もっと複合的な要素が絡んでいると思う。
高性能な紙おむつの普及で昔ほど頻繁におむつを交換する必要性が無くなり、子どもの排泄欲求を示す動きを身体的に感知しにくくなっている現代では、養育者は子どもの排泄欲求のサインをどのように受け取るのだろうか。
ある保育園でおむつ交換をするときに、オマルを使ってもらうように依頼し、子どもがどのように排泄のサインを出すのか観察してもらうようにお願いした。
生後9ヶ月の女の子は、このトライアルをやり始めて、2週間目にはオマルで排泄ができた。
1回できると、次からは、座ったタイミングで排泄できるようになっていった。
保育者は子どもの表情や動きを細かく観察し、子どもがこれからおしっこをするときの表情や動きを分析することができていた。例えば、子どもは排尿の前に自分の股間をじっと見たり、口をきゅっとすぼめたりする。
保育者はその様子に気づいて、「おしっこが出そうだね」と子どもに声掛けをする。子どもはそれを聞いて、「これが『出る』という感覚なのだ」と自覚する。
こういうやりとりは、子どもが排泄感覚をコントロールできるようになるためにすごく重要であると思う。
子どもが「おしっこがしたい」と言葉で表現できるようになるにはまず保育者が子どもの感覚に共感し、それを代弁して伝えるというコミュニケーションの土台ができてからこそではないかと考えている。
このトライアルを行なった保育者は排泄がうまくいった子どもは、食事もスムーズに食べてくれるようになったとか、言葉がたくさん出るようになったと報告している。
排泄がうまくいった喜びを子どもと共有することで保育者と子どもの間に特別な信頼関係が生まれ、この人に褒められたいから給食の際に頑張って食べるといった循環ができるのではないかと考えている。
保育者と子どもの間で行なわれる排泄支援のやり取りの中には子どもが他者の意図を理解する力や、まだ言葉になっていないけれども言葉の元みたいなものを育む要素がある。
排泄の感覚を共有するということは内臓の感覚を共有することでもあり、おむつの交換をしているだけでは、このような共有性は生まれない。
オマルの使用開始時期について、保育者にアンケートを取った。
オマルの使用開始が早い方が排泄の自立が早いという結果だった。
オマルを使うことで、子どもの排泄のタイミングを知ろうとする保育者の意識が高まるからではないかと思う。
オマルを使うときのやり取りでは、保育者は子どもに、オマルに座るか座らないかとか、おしっこやうんちをするかしないかと選択肢を与えるやりとりが多い。
排泄の主導権は子どもにあって、子どもには自己決定できるということが効力感に繋がり、自分の身体を自分でコントロールしようとする意欲が育つのではないかと考えている。
重要なのはオマルの使用を早く開始することそのものではなく、保育者と子どものやりとりの質だということがわかってきている。

質疑応答

(川内)子どもの便秘が増えているということと、おむつとの関係について説明してほしい。
(和田)論文というエビデンスはまだないが、私がこの活動を15年やってきた中で、そう考えるようになった。
赤ちゃんが便秘になる原因の一つに、おむつの中で排便をしたくなくて、便意を我慢することがある。オムツを外して、オマルやトイレといった開放空間で排泄させると、便秘が改善していく赤ちゃんがとても多い。
昔の主婦向けの雑誌にも、排泄の時におむつを外すと、便秘になりにくいと書かれている
赤ちゃんが寝ているときに、紙おむつを当てておくのは、全く問題ない。「オムツなし育児」をやっている方も、夜はオムツを使っている。
ただ、「おむつなし育児」で育っている赤ちゃんの中には、夜中でも泣いて尿意を知らせてくる子がいる。
(HOさん)トイレトレーニングと便育の違いは?
(村上)便育は、おそらく私が最初に言い始めた造語。
小学生が恥ずかしがって学校で大便をしないという問題があって、子どもたちに排便の大切さなどを話し始めた活動がきっかけとなっている。
トイレットトレーニングはおむつをつけている子どもがトイレで用が足せるようになって、おむつを外してもお漏らしをしないようにするための訓練を指すのではないかと思う。
便育のきちんとした定義を定めているわけではないが、自分自身の排泄に向き合い、排泄状況から自身の健康状態を確認できる知識と習慣を身につけることと考えている。便には色や形、においなど体の健康状態を知らせてくれる情報が詰まっている。
食育においても、栄養学的なことだけではなくて、例えば畑で野菜がどう育つかも食育の一環と捉えているように、便育も排泄の発達だけにとどまった話ではないと思う。
(川内)途上国では保護者と赤ちゃんの肌の密着があり、赤ちゃんの排泄の気配を感じやすい。それに保護者が対応してくれることで、乳幼児の排泄の感覚が発達していくという話があった。
しかし女性の社会進出が進めば、乳幼児と保護者が常に密着することは望めないのではないか。
(和田)排泄については、生まれてから1歳ぐらいまでの間の、保護者との関係がキーになる。今は、育休を1年とる人も多くなっていて、そこで基盤ができていれば、子どもの中にその経験がちゃんと残っている。
親の育休が終わっても、保育園で継続してもらえればいい。
ただ、保育園としてはおむつに頼るほうが楽なので、家庭でやっていたことをやってくれないところもある。
それでも、家にいる時に、可能な範囲で開放空間での排泄をやっていれば、排泄を通じたコミュニケーションは、決して絶望的な状態ではない。
(村上)保育園で、おむつをしている子どもに対していつもオマルやトイレを使わなくても、人手や時間の許す範囲で、オマルを使ったときには保育者が丁寧に子どもとやりとりするようにすれば、子どもの方には残っていくのではないかと思う。
(和田)ポイントは、これはトレーニングではないということ。
生まれてから、なるべく早い段階で、おむつでの排泄をなるべく強く学習させないように世話をする、というところがポイント。
保護者は、すごく気楽に、たまたま赤ちゃんの排泄の気配を感じたら、おむつを外して排泄させるといった、緩い取り組みでいい。
赤ちゃんの感覚を共有することが喜びにつながっていく。
(TEさん)私の子は3歳になるが、おむつが外せない。
(和田)3歳すぎて言葉もわかっていても、排せつ物をためておむつの外で出すという身体感覚が育っていないとうまくいかない。
まずは、おむつの外の開放空間で排泄するところから始める。
排尿の様子を一緒に見てあげて、身体の感覚に共感してあげる。そうして、体の感覚を発達させてあげることが大事なポイントになる。