第25回「うんと知りたいトイレの話」(2023年6月22日) 「SDGsとトイレ②」~汲み取りトイレから水洗トイレへ、さらにその先へ~

第25回「うんと知りたいトイレの話」(2023年6月22日)
「SDGsとトイレ②」~汲み取りトイレから水洗トイレへ、さらにその先へ~
(日本トイレ協会編「進化するトイレ」シリーズ第三弾「SDGsとトイレ」特集その2)
●講師
(1)「水洗トイレは持続可能か」
講師 ダイナックス都市環境研究所/日本トイレ協会運営委員 山本耕平
(2)「水環境から見た持続可能なトイレとは」
講師 NPO法人 雨水市民の会 高橋朝子

(講師:山本耕平)
(1)水洗トイレは持続可能か
今日は、前半は汲み取りトイレの時代の話をして、後半は水資源から考えるトイレ問題について話す。
日本トイレ協会から出版した「進化するトイレ」シリーズは3冊あって、そのうちのSDGs編については、私が全体の編集をした。本の前半は途上国の問題やジェンダーの問題を取り上げている。後半は下水の話や、水資源の問題について述べている。
私自身は、ダイナックスという環境とか防災のコンサルタント会社をやっている。
日本トイレ協会を設立した当初のメンバーで、事務局長を10年間やっていた。ちょうど、日本のトイレ革命の黎明期に関わってきた。
私の後にお話いただく高橋朝子さんとは、NPO法人雨水市民の会というのを一緒にやっている。
(1-1)汲み取りトイレ
現在の日本人のほとんどは水洗トイレを使っていて、非水洗化人口は大体5%未満。
非水洗トイレの中には、簡易水洗というコップ一杯ぐらいで流して、便槽にそれを貯めて汲み取りをする方式も含まれるので、汚物が直接見えるというような、昔のような汲み取りトイレは、ほとんどないと思う。
70年代後半から、下水道の普及とともに水洗トイレが普及していった。
昔のトイレは、月に1回ぐらい市役所からくみ取り券を買って、業者や市役所の職員に汲み取ってもらっていた。
1970年代後半にはバキュームカーでの汲み取りだったが、その前は肥担桶(こえたご)にひしゃくでくんで、トラックの荷台のタンクにあけるという作業だった。
ルイス・フロイスが書いた「日欧文化比較」という本によれば、中世の日本では、糞尿には非常に価値があった。糞尿を回収する人にお金や米を支払っていた。
人間の糞尿、し尿を腐熟させた下肥えは、即効性のあるチッソ肥料として非常に重要で、相当昔から第二次世界大戦後しばらくまで、貴重な肥料として扱われていた。
江戸は人口100万人の大都市だったが、ヨーロッパの都市に比べて非常に清潔だった。
その理由は、水道が引かれていたということと、市中から糞尿を回収して、郊外の農家が肥料として利用していた。農家に買い取られて、長屋では大家さんの収入になっていた。
今、サーキュラーエコノミー、循環経済ということが言われているが、まさに糞尿が資源として価値を持って、経済として回っていた。
下水道は明治2年(1869年)に横浜で初めて造られた。当時の下水道は、雨水とかの雑排水を流すものだった。
鎖国政策をやめて開港して以降、東京や横浜では伝染病が広がり、東京では公衆衛生の観点から明治17年(1884年)に神田下水が造られた。
し尿は、明治時代(1868年~1912年)になっても肥料として使われていたが、東京の人口が増えてきて供給過剰になってきた。それまでは農家がお金を払って汲み取っていたものが、だんだんお金を払って汲み取りをしてもらうというふうに変わっていった。
資源から、処理費がかかる廃棄物に変わっていった。
儲かるところや汲み取り作業のしやすいところだけ業者が行って、それ以外のところは行かないというトラブルがあったり、悪い業者はし尿を農地までちゃんと運ばず途中で投棄する、といった問題も結構起こった。
明治33年(1900年)にコレラの流行を背景に、汚物掃除法と下水道法が制定された。
汚物というのは主に糞尿を指していた。今は糞尿は、廃棄物処理法でごみや粗大ごみとともに一般廃棄物の中に含まれる。
汚物掃除法によって、それまで、し尿処理は民間で完全に自立的な経済でやっていたのを、市町村が責任をもってやるという制度ができた。
下水道法の制定によって、明治41年(1908年)に東京に下水道計画が策定された。下水処理場があるわけではなく、下水道は雨水や雑排水を河川、公共水域に放流するという位置づけだった。
日本で最初の公衆トイレは、明治初期に開港場である横浜に設置された「路傍便所」であるとされるが、渋沢栄一も一目置いたといわれる実業家の浅野総一郎は、洋風建築の公衆トイレを63ヶ所設置してし尿を売って建築費の借金を返済したといわれる。
当時の便器は木製だった。明治24年(1891年)に濃尾地震がおこり、その復旧にあたって、東海地方を中心に、陶器製の便器を設置する人が増えた。そのときに、染め付けをした便器がブームになり、全国に広がった。
し尿と糞尿という言葉の使い方として、し(屎)はくそ(糞)のことで二つの言葉は同義だが、廃棄物処理法の中で産業廃棄物として「動物の糞尿」という言葉があるので、人間の排泄物をし尿と呼ぶことが多い。大正時代(1912年〜1926年)になると、寄生虫が非常に大きな問題になってきた。
軍隊で徴兵検査をすると、寄生虫を持っている人が非常に高い割合でいるということが判明した。特に農村部では、寄生虫の保持者が多かった。
寄生虫がいると体格に影響してくるので、内務省が改良式便槽というものを開発した。
これは、便槽の中で3ヶ月ぐらいかけてし尿を腐熟させ、その過程で、寄生虫の卵や病原菌を死滅させる構造になっている。
基本的に、し尿の処理は肥料としての利用がメインで、それ以外の処理の仕方はなかった。
東京の人口が増えて、都市近郊が開発されていくと、し尿を遠くの農地まで運ぶ必要が出てきて、鉄道輸送が行われるようになった。
第二次世界大戦後もしばらくは、非常に即効性のある窒素肥料としてし尿を利用していたが、連合国軍総司令部GHQの命令で利用が禁止されて、し尿処理が非常に大きな問題になった。
それで、東京では、船に積んで、ずっと東京湾の沖の方まで行って、海に捨てていた。
海洋の汚染を防止することを目的としたロンドン条約(1972年)で禁止された以降もずっとやっていて、2007年海洋汚染防止法ができて海洋投棄が行われなくなった。
し尿処理技術が開発されて、第二次世界大戦後、し尿処理場の整備が進められていった。

(1-2)水洗トイレ
水洗トイレは、住宅公団の団地から普及した。住宅公団が設立された昭和30年頃は住宅不足が深刻で、その対策として都市部を中心に、積層の集合住宅を造っていった。
積層の集合住宅なので、汲み取りトイレは造れないため、水洗トイレを導入した。
し尿は共同の浄化槽に入れて、そこである程度処理をして放流するという仕組み。
当初の便器は、汽車便の和風便器(しゃがみ式便器の前半分がかさ上げした床面に置かれており、男性は便器後方の一段下がった床から立って使う。汽車で使われているトイレの形式から汽車便と呼ばれている。)だったようだが、1958年に初めて洋式便器が採用されて、これが日本に洋式便器が普及する一つのきっかけになったといわれている。
ただ、し尿処理がちゃんと行われていたわけではなく、水洗化の方が先に進んで、処理のシステムが後から追いかけていく形になった。
下水道が十分に整備されていないので、単独処理浄化槽という、し尿だけを処理する浄化槽が開発されて、住宅では水洗トイレと単独処理浄化槽がセットで普及した。
単独処理浄化槽は水洗トイレのし尿だけを処理して、台所や洗濯、風呂など、他の雑排水は未処理のまま放流していた。単独処理浄化槽の能力は低く、河川や湖沼の水質汚染が非常に大きな問題になっていた。
そこで2000年に浄化槽法が改正されて、単独処理浄化槽は禁止され、し尿と雑排水を合わせて処理する合併処理浄化槽にしないといけなくなった。
合併処理浄化槽は処理機能が高くて、下水処理場とほぼ同じぐらいまで処理できる。
し尿の処理別人口は、公共下水道によるものが1974年には15. 3%だったが、2019年では76. 1%になっている。
浄化槽による処理は、1974年では14.2%で、2019年では19.3%になっている。
汲み取りのトイレの人口比は1974年では70.6%だったが、1979年には47. 9%になり、2019年には4.6%になった。
トイレの水洗化率は、1963年が9.2%で、1978年が45.9%、1999年が83%、2017年になると94.5%になった。どんどん水洗化が進んでいったことがわかる。
非水洗化人口は、1989年が36%、2008年で9%、2021年で4%と、どんどん少なくなっている。
水洗トイレと洋式便器の普及によって、トイレの快適さが向上した。
2008年の住宅・土地統計調査では、住宅総数に対して水洗トイレは90.7%で、洋式トイレは89.6%。
レストルーム工業会のHPに載っている資料によれば、温水洗浄便座の住宅への普及率が2021年で80.3%。
第二次世界大戦後、トイレの水洗化がどんどん進んでいった一方で、下水処理設備の整備が追いつかなくて、河川や湖沼、海の汚染に繋がった。80年以降だんだん下水道が整備されて、トイレの排水が汚染の大きな原因になるということは、現在ではほぼなくなった。

(1-3)水資源から考えるトイレ問題
日本は水に恵まれていると言われ、年降水量にすると、世界平均の1.4倍ぐらいになる。
しかし、日本における1人当たりの年降水総量は5000立方メートルで、世界の1人当たりの年降水量は約2万立方メートルだから、4分の1ぐらいになる。
1人当たりの利用可能な水の量は世界平均で1人当たり7300立方メートルだが、日本は3400立方メートルで、世界平均の半分以下ということになる。
1人あたりで見ると、日本は決して水に恵まれた国ではない。
東京都水道局の統計だと、1人当たり、1日に平均214 Lの水を使っており、風呂に40%、トイレに21%、炊事に18%、洗濯に15%使っている。
トイレには、1日当たり大体45 L使っているということになる。
人間の生存には、1日あたり2.5Lの水が必要で、食べ物からも摂るので、飲み水としては1日1.5Lぐらい必要。
トイレは1回で6リットル程度の水を使うので、生存に必要な飲み水の4日分を、トイレを使うたびに流しているということになる。
最後に、温暖化について述べる。
東京都水道局の作っているモデルによると、トイレの水の使用によって、3人家族ではCO2を年間12キロぐらい出していることになる。
これは10本の木が1ヶ月に吸収するCO2と同じ量にあたる。
下水処理場からは、CO2の300倍の温室効果ガスが発生する。
下水道事業からの温室効果ガスの総排出量は、日本全体の排出量の0.5%を占めている。
東京都の事業の中では、下水道局が出す温室効果ガスが一番多くて、全体の45%を占めている。
水洗トイレというのは水資源を大量に使う。そしてそれを処理するためにエネルギーを使い、温室効果ガスも大量に発生する。
したがって、水洗トイレというシステムは本当にサステナブルなのだろうかという疑問を「SDGsとトイレ」の本の前半に書いた。

(講師:高橋朝子)
(2)「水環境から見た持続可能なトイレとは」
都会は、遠く離れたダムに雨が降らないと渇水になる。
都会でも雨を下水に捨ててしまわないで、貯めて使うとか、地面に染み込ませて、少しでも水循環を取り戻そうと、雨水市民の会は活動をしている。
私は東京の特別区の保健所で環境衛生監視委員という仕事をしていた。
仲間と自主研究として、ソーラーシステム研究グループをやっていて、「都市の水循環」という本を出した。その後、「都市のゴミ循環」「循環都市へのこころみ」と3冊出版した。
これが終わった後に、ちょうど墨田区で、雨水利用東京国際会議というのがあり、そこの実行委員を務めた。
雨水利用東京国際会議が終わった後に、その実行委員会が「雨水利用を進める市民の会」を結成した。現在は「雨水市民の会」に改称し、私は事務局長をやっている。

(2-1)東京の水環境
保健所の環境衛生監視員をやっていたころ、金町浄水場の水がカビくさいとかまずいという相談がたくさん寄せられた。
金町浄水場の水源の江戸川では、取水口の対岸に小さな川があって、水が真っ黒だった。
汚染の原因は、浄化槽だった。
当時は、単独処理浄化槽の全ばっ気式浄化槽が使われていた。これは非常に小型で、狭い敷地でも設置できたが、し尿しか処理せず、浄化力が弱く、水質汚濁が進んでいた。
私達なりに解決策を考えた。まず、雨水をためて使う。排水は、大規模に集める下水道ではなく、個人下水道を普及させるべきと主張した。
小規模な合併式浄化槽の性能のよいものを入れれば、高度な処理ができるので、下水道という大規模な仕組みではなくて、小さい仕組みが大事なのだと唱えた。
BODとCODは、有機物による水の汚れを示すが、その3割くらいはし尿が原因。
窒素、リンは水の富栄養化の指標としてよく使われるが、その7割くらいはし尿が原因。
処理の方法で比べると、単独処理浄化槽はし尿のみ処理し、放流水は非常に水質が悪い。
合併式浄化槽は、トイレの排せつ物と雑排⽔を合わせて処理し、放流水の水質は良く、下水道による集中処理よりちょっと劣るくらい。
中央処理の下水道では、BODやCODはかなり低下できているが、りんと窒素はそれほど低下できていない。
アンモニア性窒素は、家庭排水、主にし尿由来のものが多く含まれている。東京の多摩川のアンモニア性窒素の値を調べると、1960年代に急激に増加したが、現在は非常に良くなってきている。
東京湾流域には、日本の人口の23%にあたる2880万人の人が住んでいる。
東京湾は1955年ぐらいに水質汚濁が進んで、汚濁防止のためという名目のもとに1962年に漁業権が放棄され、1970年には水質汚濁防止法が制定され、ある程度水質改善が進んだが、最近は改善が停滞している。
水質汚濁の解決策として東京湾の流域では下水道の普及を進め、現在の下⽔道普及率は86%と⾼いが、⾼度処理の普及率は6%と全国平均の9%より低い。
そのため窒素やリンが排出されている。
東京湾の流域では、下水道に雨水を合流させている地域が多くて、少し多めに雨がふると、未処理の水がそのまま海に流れ出ている。
リンや窒素が比較的多いので、夏にはプランクトンが増殖して、水質汚濁が発生する。
東京湾の奥の辺りでは、夏に非常に酸素が消費されて、海底にいる生物が死滅してしまう。
過去の水質汚濁がひどかったときに海底に溜まったヘドロからリンが溶出してくると、さらに、貧酸素が進む。
東京湾は湾の面積の約2割で埋め立てをやっていて、干潟が激減したための浄化能力低下がある。
東京農工大の名誉教授の小倉紀夫先生が、30年ほど前に、「東京湾100年の環境変遷」という本の中で、東京湾流域の窒素とリンの問題について述べている。
1935年、東京湾流域の人口は1000万人だった。
当時、人間のし尿は殆ど田畑に還元されていた。
1000万人を養う食料は東京周辺の産地からある程度賄われていた。
55年後の1990年になると、人口は2.6倍の2600万人になった。
宅地化が進んで、農地が減少した。鶏や豚の飼育が盛んになった。
人間2600万人の食料が足りなくなって、外部からの食料が大量に入ってきた。
農業に化学肥料が、家畜の方も飼料が必要となり、外部から窒素が、1日あたり445tも入ってきた。
東京湾流域での人口増化、経済活動や第一次産業の変化など、様々な要因があって、東京湾の現状がある。下水道だけでは、水質汚濁の決定的な解決にはならないのではないかという認識もできるかと思う。

(2-2)⽔洗トイレに代わるもの
水洗トイレでは1人が1日に45 L使っている。東京湾流域には2880万人が住み、その水洗化率が95.4%なので、1日に120万tの水が水洗トイレに使われている。
水洗トイレは、災害時に水道が止まってしまうと使えなくなる。
水が流れないとき、バケツでざっと流すことが考えられるが、排水管が壊れているときは流せない。さらに、災害時に、貴重な水をトイレの水として流してよいのか。
携帯トイレとか簡易トイレの他に、便座にゴミ袋をセットして用を足すことも考えられる。
この場合、水分を固めるために「高分子吸収材(吸水性ポリマー)」を入れるが、これはプラスチックの一種で、公共水域に廃棄されるとマイクロプラスチックの問題になる。
また、使用後に家庭に置いておくと、ニオイの問題も深刻。
そのゴミは、最終的には焼却処理になるが、水分が多いと燃えにくい。
災害時に不快な思いをせずに安心して排泄できるものはないかと考えた。
大便と小便を混ぜなければ、うんと衛生的で、臭いも解消する。
大便には、腸内細菌がたくさん含まれているが、小便にはほとんど細菌がいない。
大便と小便を分けることで、衛生問題がある程度解決するし、臭いもある程度は防げる。
いろいろ試行錯誤して、ポリエチレン袋を使ったZeroトイレというものを作った。
これは2018年に出版した「山と災害〜Zeroトイレの提唱」という本で紹介した。
ポリエチレンと身近な牛乳パックで作る方法を考えた。牛乳パックよりも焼酎パックのほうがもう少し頑丈なので、何回も使える。
ポリエチレンの方は、高密度の0.02ミリというのがちょうど良かった。
Zeroトイレを局部に当てて使うが、そのやり方は便座式のトイレに慣れ親しんでいる人には抵抗感があるかもしれないが、人それぞれに違って構わない。
水洗トイレは、非常に快適で衛生的で良いという風潮があるが、SDGsの観点や災害時の対応からすると、ちょっと問題がある。
Zeroトイレはその対極にあると思う。自分でトイレを作り、自分で始末するということが基本となる。
WOTAという会社は、配管の設備ができないところで、手を洗った水を浄化して再度また手洗いに使える手洗い器を作っている。
WOTAは、AIを使って、一軒の家全体で水循環できるようにする小規模分散型水環境システムを提案している。今はまだ、モデル実験中の段階らしいが、トイレの部分だけは別系統になっている。他の排水は全て衛生的に処理をして再度使う。トイレはトイレだけで循環する仕組みになっている。

(2-3)将来のトイレ
今、私たちは水洗トイレに極端なきれいさを追い求めていて、SDGsには逆行するのではないかと思う。
臭いもしないトイレとか、上下水道に頼ってしまっているだけの水洗トイレは、どうも違うのではないかという気がする。
過疎とか経済的負担の大きさから、いずれ上下水道が使えなくなる地域が出てくる。
その場合、水洗ではないトイレの技術開発も必要だと思う。
もう一点は、排泄物の問題。
排泄物は、今、廃棄物としての扱いになっているが、衛生問題さえ解決すれば、土に返していくというのが必要になるのではないかと思う。
SDGsを考えると循環の輪に排泄物を入れていかないことには、持続可能なトイレにはならないと思う。
水洗トイレ一辺倒ではなく、資源やエネルギーをできるだけ使わない、循環の輪に組み込まれたトイレを考えて行く必要がある。

【質疑】
(KAさん)Zeroトイレのお話で、小便と大便を分けたあと、それの処理はどうお考えか。
(高橋朝子)災害時だと、まずは貯めておくしかない。
小便は、トイレが使えるようになったらトイレに流す。大便は焼却処理する。
広い敷地があるところだと、大便は土に埋める。
今のZeroトイレの袋はポリエチレンなので土に還らないが、生分解性のあるプラスチックを使えばこのまま埋めても心配なく処理ができると思う。
(高橋未樹子)捨てるときは通常の燃えるゴミで出しても大丈夫なのか?
(高橋朝子)自治体は、災害時は燃えるゴミとして出すように言っている。
トイレが使えるようになっても、大便をトイレに流すのは大変で、燃えるゴミとして出すのが一番いいと思う。
(KAさん)Zeroトイレの具体的な使い方はどうするのか。
(高橋朝子)大便と小便が同時に出る場合でも、2つのZeroトイレを前と後ろに当てれば分離ができる。
市販の携帯トイレでもできるが、携帯トイレには水分を凝固させるプラスチックが使われているので、よくないと思う。
(KAさん)WOTAの水循環システムは、水を下水に流さず、処理して循環させるという説明だったが、都市部の住宅では、その設備を設置する場所が取れないのではないか。
(高橋朝子)WOTAが実際に実験をした住宅は、トレーラーハウスぐらいの大きさだった。そこに人が住んでデータを取った。
(KAさん)敷地の狭い都市部に建つ一般的な住宅では、建物の中に浄化、循環の設備をどうやって入れるかが問題になると思う。
それから、下水道が整備された地域では、WOTAのシステムとか高性能の合併処理浄化槽を使って個別に処理するということは、今の法律ではできないのではないか。
(山本)法律で、下水道が敷設されると接続しないといけないので、合併浄化槽からの処理済みの排水を下水道につないで放流している例はある。
(TOさん)携帯トイレで、土に還ることのできる製品が出てきている。下水道設備の整っていない海外で使用され始めている。
(ANさん)Zeroトイレの考えはいいと思う。平常時に災害時のことを考えて準備、経験しておくのは大事だと思うが、日常的に使うのは難しいと思う。
(山本)実際に、実用的かどうかよりも、災害時のことを考えて準備することが重要だと思う。
携帯トイレのような非常に利便性の高いものがあるので、トイレを備蓄することができて、災害時であってもトイレに困らないような状況が、1週間ぐらいだったらできるようになってきている。それ自体はとても良いことだと思う。
(高橋朝子)そもそもZeroトイレというのは、トイレのないところでどうやって排泄しようかを考えてできてきた。日常的に使えるかどうかについては、別の問題があると思う。
また、イベント会場とか山とか、トイレ環境が良くないところで、役に立つと思っている。
使うには練習がある程度必要なので、ぜひ試してみてほしい。
(SIさん)私もZeroトイレを300ぐらい作った。
非常時に備えて、トイレを1週間分用意しようと言われているが、私は、実際には2〜3ヶ月トイレがないぐらいの覚悟を持っておくべきだと思っている。
その点、Zeroトイレは牛乳パックを使えるので、便利だと思う。
(高橋未樹子)朝子さんのお宅の、雨水を使ったトイレのことを聞きたい。
(高橋朝子)6年前、私の家を建てたときに、雨水タンクを入れた。
敷地がそれほど広くないので、駐車場の地下に設けた。
雨水を地下タンクに入れて、ポンプでくみ上げて、庭の散水と1階のトイレに使っている。
災害時の停電時に備えて、手動ポンプもある。
一般的には、もっと小さいドラム缶ぐらいのものを地上に置いて、樋から雨水を引き込んで、庭の散水に使うようなものが多い。