第33回「うんと知りたいトイレの話」(2024年3月21日) 「能登半島地震緊急報告 part.2」 ~能登半島地震から学ぶこと~

Fig.1 A photo of Dr. Mikiko Takahashi as MC.

●司会
高橋未樹子(日本トイレ協会理事/コマニー(株)研究開発本部研究開発課 課長)
●講師
(1)「視覚障害者から見た避難所のトイレ」
講師:大口史途歩(能登半島地震被災者)
(2)「能登半島地震対応における現状と課題」
講師: 谷本亘(日本トイレ協会運営委員、災害・仮設トイレ研究会副代表幹事、日野興業㈱営業企画部 部長)
(3)「阪神・淡路大震災の教訓と能登半島地震のトイレ」
講師:山本耕平(日本トイレ協会運営委員、災害・仮設トイレ研究会代表幹事、(株)ダイナックス都市環境研究所代表取締役会長)

能登地図

(高橋未樹子)3月19日時点の能登半島地震の避難者は、一時避難所に避難している方が4563人、金沢にある1.5次避難所に避難している方が105人、二次避難所に避難している方が3800人、合計で、まだ8468名の方が避難している。
また、今でも壊れかけの自宅で過ごしている方もたくさんいる。
水については、いまだに石川県内で1万1460戸が断水しており、珠洲市ではほぼ全域で断水が続いている。
珠洲市の方に、今何が必要かと聞いたら、まず携帯トイレが足りないと言われた。
行政から避難所に届けられる食事は、珠洲市は1日1食分が届くらしいが、七尾市では1週間に1食分が届くだけで、未だにトイレにも食事にも苦労している。

(1)「視覚障害者から見た避難所のトイレ」(講師:大口史途歩(おおくち しずほ))
(高橋)大口さんは、能登半島の先端の、一番被害が大きかった珠洲市に住んでいて、そこで被災し、その後金沢市の1.5次避難所に避難し、今は石川県の一番南の加賀市に避難している。
(大口)私は視覚障害があり、明るい暗いはある程度認識できるが、人物、物などはほとんど見えていない。
地震が起こったときは、正月だったので、珠洲市の自宅の自室で寝ていた。
防災道具を傍らに置いていたので、地震が起きてすぐ、それを持って逃げた。
石川県では、ここ二、三年、地震が立て続けに続いていて、防災道具を身近に準備していた。
階段を降りようと思ったが、階段が外れかかっていた。壁が崩れたものが階段の上に散乱している状態で、手すりをつたってそろそろと座りながらおりた。
津波警報が出ていて、珠洲市では防災訓練をしていたので、家族や友人と、すぐに自分の家の裏の方にある高台に逃げた。
道が液状化で、車は使えない。友人が段差を教えてくれたり、経路を迂回する指示をしてくれて、逃げた。コンクリート舗装の急な坂道があり、雪が積もっていて、近所の方々や、友人が、引っ張ったり押したりしてくれて、高台の避難所に連れて行ってくれた。
避難所は、私の小学校の母校。
教室の中がマットレスで敷き詰められていて、通路がないので、他の人を踏みつけるような状況だった。視覚に障害があると、家族に頼って歩くしかなかった。
この小学校には防災倉庫があって、そこに簡易トイレが備蓄されていた。
トイレの便器は洋式だったので助かったが、袋に凝固剤を入れて用を足し、それを小さくまとめて防臭袋に入れるというのが非常に困難だったので、家族にやってもらっていた。
家族も被災して気持ちが疲れているし、ボランティアも被災者だから、どんどん頼みづらくなってくる。
自分でやろうと思ったが、視覚障害があるので、トイレの形を手で触って確認しなければいけない。衛生状態が悪くなっていて、軟便が便座に付着していることが結構あり、それに触ってしまうことが、12日間の一次避難の中に五、六回あった。
高齢者が多いので、やり方がわからないとか、面倒くさいとかがあったと思う。それから携帯トイレのメーカーによってやり方が違うので、だんだんみんな嫌になってくる。
そのため、携帯トイレをセットせずに使って、便器の中に排せつ物が山盛りになるケースがあった。
メーカーが違っても、使い方ができるだけ統一されていれば、と思う。
便を触ってしまっても、断水で水がないので、ウェットティッシュで便をふき取り、その後乾いたペーパーで、とにかく手を何回もこするように拭いて、それから消毒用のアルコールをかけるだけしかできない。
(高橋)私が初めて1月7 、8日に輪島に行ったときには、現地のトイレの状況がわからないのでおむつを履いていった。口を潤す程度にしか水分は摂らなかったし、トイレが心配で、ほとんど食事も摂らなかった。たった2日間で、流水で手を洗いたいというのと、ゴクゴク水を飲みたいというのと、お腹いっぱいご飯を食べたいというのをすごく思った。
(大口)どうしても家族や周りの人に頼むことが億劫になってくる。水を飲まない方がいいのではないかとか、ご飯を食べない方がいいのではないかとか、ネガティブに考えてしまう。
トイレに行く回数を減らすことを第一に考えていた。昼間は自宅に帰ることができたので、家の近くの川の水で手を洗っていた。
避難所で体調を崩している人も多かったし、私も便を触ってしまったりで感染したのか、具合が悪くなった。食欲不振になって嘔吐感が常につきまとい、水様便になった。脱水症状を防ぐために水を飲まなければと思うが、飲むとトイレに行かなければならない。二、三日は苦しんだ。
途中から仮設トイレが来た。これは嬉しかった。和式だったが、水が流せたし、清潔に管理されていたので、私はその仮設トイレしか使わなくなった。
仮設トイレは、校舎の外に出て、校庭を歩いて行かなければならないので、必ず家族の案内が必要だった。
普段だったら1人でできることが、毎回家族の手を借りなければならなかったので、私も申し訳ないし、向こうも疲れてくるし、トイレの問題は本当に今回の地震で悩まされた。
携帯トイレの数が圧倒的に足らない。仕様もメーカーごとに違っているから、最初は守ろうと思っている方々も、どんどん面倒くさいから守らなくなってくる。
携帯トイレは、ある程度の統一した規格がある方がいい。

(2)「能登半島地震対応における現状と課題」(講師:谷本亘)
私が働いている日野興業株式会社は日本における仮設トイレの創業メーカー。
会社としては、阪神淡路大震災(1995年)以降の全ての大規模災害に携わっている。
私自身は熊本地震(2016年)以降の全ての災害の担当になっている。
最近の仮設トイレは、イベント会場などにある仮設トイレに加えて、女性専用の仮設トイレや快適トイレというものも増えつつある。
また、災害時に話題になる障害者向けのトイレも、一応存在はしている。
会社としても、トイレ協会の一員としても、様々な防災の啓発活動をしている。
国交省が出している資料によれば、発災直後は、携帯トイレや簡易トイレで最低3日ぐらいをしのいで、その後、各地に備蓄されているマンホールトイレとか、我々が扱っている仮設トイレが、徐々に届き始めるということになる。
ただ今回の能登半島地震では、携帯トイレがいつまでも使われている。
発生日が元旦だったので、わが社のスタッフも含めて、関係者と連絡が取りづらかった。
仮設トイレは政府が定めているプッシュ型支援の8品目に含まれていないので、プル型支援で、政府から大規模でのレンタル発注がなされた。
提供された仮設トイレは、今までと同様に和式便器が主流だったが、弊社ではアタッチメントを取り付けて、洋式便器にした。
また、地震が寒い時期に寒い地域で起こったので、洗浄液に不凍液を投入したり、防虫防臭剤も投入した。
夜間での使用もできるよう、乾電池式のセンサーライトや便座の除菌クリーナーも最初から設置して出荷した。
現地での設置のマニュアルも作った。また、仮設トイレに不具合が生じた時に、専門家がいなくても対応できるような故障やQ&Aのマニュアルも作った。
オンライン上のマップに仮設トイレの設置場所を記録して、管理のために役立てている。
この情報は、経済産業省を介して環境省にも共有されて、汲み取りの際に役立っていると聞いている。
仮設トイレの搬入にあたっては、道路の破損がひどく、雪や天候不良もあって、危険が伴い、他の災害時に比べて格段に輸送が困難だった。道幅が狭くなっているので、大型トラックによる効率のいい輸送はできなかった。夜間作業は危険すぎたので、作業時間が短くなった。
設置場所は階段の上だったり、地面が安定していなかったりで、難しい現場もあった。
汲み取りのしやすさ、設置のしやすさ、防犯上の問題などを考えて、事前に設置場所を協議できていたら、困難さが減っていたと思う。
今回の被災地は、地理的に陸上輸送しかできなくて時間がかかった。
相次ぐ余震による二次災害の恐れもあり、行くときは通れたのに、帰りには通れなくなったということもあった。
通信障害もあって、なかなか現地のスタッフとタイムリーにやり取りができなかった。情報ルートの統一がなされておらず、現地の担当者からの情報があいまいで、手戻りも生じた。
初めは社員も手助けしたいという気持ちが勝っていたが、メディアから現地の道路状況や天候の情報が入ってくると、社員だけではなく家族からも、民間企業としてどこまでやるべきなのかという不安の声が広がってきて、判断が難しかった
従来の仮設トイレだけではなく、次世代型のトイレも出てきた。
電気も何も要らずに、最初に水を投入すればいいという完全自立型のトイレとか、機動力のあるトレーラーハウス型のトイレや、トラックと一体になっているトイレカーも来ていた。最近は自治体がこういったトイレを持っていて、現地に貸し出されたものもあった。
車いすで使えるトイレは、今回、弊社としては出荷実績がなかった。
現地からの要望の有無というよりも、そもそも市場に流通していたり在庫している商品が、ほとんどないというところも大きいかなと思う。
初動段階では、被災地の近隣のレンタル業者から、普段建設現場で使われていて在庫としてあったトイレが届くので、和式トイレが中心になった。
ただ、1月、2月は建設工事の閑散期で、各レンタル会社の仮設トイレの在庫が多い時期だった。これが夏場だったら、非常に供給量が少なかったと思う。
仮設トイレの洋式と和式の比率について、去年、私たち災害・仮設トイレ研究会で調査した。
洋式の簡易水洗のトイレは、レンタル会社の保有比率は33. 9%。
家庭や公共トイレのほとんどは洋式だが、仮設トイレの洋式の比率はずいぶん低い。
仮設トイレのメーカーが新品で出荷している洋式トイレの比率は37. 3%。
仮設トイレの分野では、新品でも和式トイレが売れている。
洋式トイレはイベント等では人気が高いが、弊社では、レンタルの97%ぐらいは建設業界に行っている。特に、住宅業界の比率が非常に高い。
規模が小さくて予算があまりない住宅の現場では、予算の制約が厳しく、まだまだ圧倒的に和式トイレや質の高くないトイレが求められている。
車いすで使えるトイレは、仮設トイレが1000棟あったら1棟あるかなぐらいしかないので、それの稼働率を掛け合わせると、ほぼ存在していないということも言えると思う。
洋式トイレの普及は、民間のレンタル業界の変化が大きく期待できないので、被災地からの需要に対して国や自治体での所有も考えていかなければならないと思っている。
また、迅速な被災地対応を考えると、プッシュ型支援にして、素早く対応する必要がある。
情報不足に関しては関係各所との連携、ITなどの活用も必須だと思う。

(3)「阪神・淡路大震災の教訓と能登半島地震のトイレ」(講師:山本耕平)
(山本)阪神・淡路大震災のときのトイレ事情と、今回の能登半島地震と、どこが違うのかを考えたい。阪神・淡路大震災は1995年1月17日に起こった。
大都市で人口が多いので、死者や負傷者が多かった。
私が当時、ボランティアとして活動したのは神戸市内だった。
避難所の状況とか、火事で焼けた跡とか、当時の状況は能登半島地震とあまり変わらないように感じる。
神戸のときは、まさに、なすすべもなく、地面に穴を掘ったり、今のような携帯トイレはまだほとんど普及していなかったので、ゴミ袋を使ったりしていた。
たまたま当時の神戸市のゴミ袋は、黒色や青色で、中が見えないものだったので、袋の中に新聞紙をひいたり、ペットの砂を入れたりして用を足した。
穴を掘るというのは非常に難しくて、少なくとも都会では、人力で穴を掘っても、大した深い穴は掘れない。
私が神戸市内を歩いたときに、マンホールの上に囲いを作って、トイレを作っていた。
その後、神戸市に提案して、復興段階でマンホールトイレを小学校に試験的に作ったりした。携帯トイレも多分、この経験からいろいろ製品化されて普及していったのだろうと思う。
被災直後に一番有効なのはマンホールトイレだが、能登半島地震ではその準備がされていなかったと聞いている。
2016年の熊本地震のときには、ちょうど造ったばかりのマンホールトイレが役に立った。
能登半島地震では携帯トイレが非常に活躍している。携帯トイレはプッシュ型の支援で、とにかく送られてくるが、需給がうまく合っているかどうかはよくわからない。これはきちんと調べる必要があると思う。
能登半島地震で一番問題だなと思っているのは、使用済みの携帯トイレの処理の問題。
阪神・淡路大震災のときも、ゴミ袋に排泄したものが一般ゴミに入ってきて、これを収集するときにすごく大変だったと聞いている。
ゴミ収集車の中で破裂して、糞便をかぶる作業員が出てきたりして、衛生上の問題が起きた。排せつ物と一般ごみをきちんと分別して、別々に収集する必要がある。能登では避難所によっては、分別されていないところもあると聞いている。重要な問題だと思う。
仮設トイレについては、阪神・淡路大震災では、どこから調達したらいいかわからないとか、いろんなところから送られてきた仮設トイレが、無計画にあちこちに設置されてしまい、最終的にどこにいくつあるのかよくわからなくなった。
人口の多い地域だったので、避難所によってはすごい数の避難者がいて、トイレの数が圧倒的に足りなかった。しかし、発災後2週間くらい経つと、100人に1基ぐらいの仮設トイレが配置されて、だいぶ苦情も少なくなった。避難者も減っていって、最終的には70人に1基ぐらいの数になった。
今は、スフィア基準とか、国際的な人道支援の基準があって、50人に1基とか、あるいは長期の場合は20人に1基というような数字が、内閣府から示されている。今回の地震ではどうだっかのか、検証が必要だろう。
避難所のトイレは屋外に置かれ、出入り口からかなり遠い場合がある。
設置する側からすると、動線を考えて置き場所を最初から決めておいてもらわないと、搬入しても置き場所が決まらない。これは被災前から計画として持っておく必要がある。
写真を見比べると、30年前も今も、仮設トイレの外観は違いがない。中の設備が少し良くなっているかもしれないが、基本的には、仮設トイレはあまり進歩しているように思えない。
仮設トイレは便器の下に便槽があるので、床が高く、段差がすごくあって1日に何回もこのトイレを使おうと思ったら高齢者はすごく大変だった。
また、洋式トイレは絶対的に不足していて、高齢者が排泄を控えるということがあった。
お年寄りが、水を飲まないために、健康を害するといった例があった。
能登半島地震でも、同様の問題が指摘されている。
それで仮設トイレよりも携帯トイレを使う傾向があるということも考えられる。
今回はトレーラー型とか、車載型のトイレが提供されたところでは、快適さは向上した。
数は絶対的に少ないと思うが、認知度やニーズが高まって、自治体による導入が増えるかもしれない。数や利用の実態をちゃんと把握する必要があると思う。
阪神・淡路大震災では、仮設トイレの汲み取り作業が円滑にいかなかった。
仮設トイレがどこにあるのかが把握されていなかった。バキューム車も圧倒的に足りなかった。トイレの清掃用具が、災害の救援物資の中になかったので、トイレ協会でお金を集めて、手袋とデッキブラシを送った。
能登では、意外と汲み取りは問題がなかったという話を聞いているが、実態はどうなのだろうか。
阪神のときは下水処理場が大きな被害を受けたので、汲み取ったし尿の処理が問題になった。能登では、比較的下水処理場の方は被害が少なかったようだ。
車いすで使えるトイレは、阪神のときは、普及率は非常に低かった。それから福祉避難所の仕組みがなかったので、病院や福祉施設にトイレを借りに行ったとか、現場でいろいろな工夫をしたという話をたくさん聞いた。
能登では福祉避難所の仕組みはできていたが、開設ができなかったところが多いと聞いている。
福祉避難所にトレーラートイレが配置されたという話も聞いた。
その辺も、効果や問題点を検証する必要があると思う。
ボランティアは、寝食を含めて自己責任、自己負担とされているが、トイレは自己完結できない。
阪神のときは、たくさんのボランティアが来て、たぶん避難所のトイレも使っていたと思う。
しかし、2011年の東日本大震災のときは、避難所のトイレを使うなと言われた。水害などの被災地でも、避難所のトイレを使うな、ボランティアセンターに戻れという指示が多くなっている。これだと、トイレのためにボランティア活動の時間が無駄になる。
災害トイレの一つのテーマとして、ボランティアのトイレも考えておく必要がある。
我々は阪神・淡路大震災のときに、トイレの実態調査を行った。その結果をまとめて、公表したりシンポジウムをやったり、学会で発表したり、本になったりして、仮設トイレがどのぐらい必要かというデータの基本になった。
能登半島地震においてもトイレの実態把握の検証が必要だと思う。
「能登半島地震におけるトイレの実態調査と課題研究会」といった名称で、トイレ協会、国、自治体、学識経験者、被災当事者で研究会を立ち上げて、情報を集めることを提案したい。
2019年に私たちが全国の自治体に調査をしたが、被災時のトイレの計画を持っているところはあまり多くない。特に計画を定めていないところは35%あった。あらかじめトイレに関する計画を作り、あるいはその政策を検討するということが必要だと思う。
トイレは人権である。災害だから人権を無視していいということにはならない。そういう理念をもっと明確に打ち出す必要があると思う。

【質疑】
(山本)仮設トイレについて、出荷のリクエストが、どういうふうに日野興業に行くのか。それから、設置した後の維持管理や汲み取り、処理がどう運営されているのか。
(谷本)災害が起きて、結構早い段階で経済産業省から、メールなり電話で、準備しておいてほしいという連絡が来る。
そこから次、実際に頼むと思いますとか、正式な依頼はまだだが作業を始めてほしいという連絡が、今回だと1月2日の昼には来た。そこからもう、弊社は水面下で動き始めた。
ただ具体的にどこに何台送ってくれというのは、まだ来ない。
(谷本)そうやっている間に、普段の我々のビジネスのルートから、何台出せるかといった問い合わせがいっぱい来るが、これは、うちの社内ルールで全部止める。
大規模災害の場合は国からの話しか、一旦は聞かないというルールにしている。
経産省は、基本は現地からの要望に応えるというプル型支援の形だけれど、それを待てないので、とにかく金沢に500棟ぐらい持っていこうという動きになった。
ただそこから被災地の各避難所への配送の連絡が遅かった。
自治体が混乱状態で、仮設トイレの要望をなかなか出せなかった。
汲み取りの体制は、どうしても遅れてしまう。トイレがどこの避難所にあるかの情報が遅れる。みんな良かれと思って、公的ではない避難所が乱立する。そこに、どこからかはわからないが、勝手に仮設トイレが届く。
特に今回は想像以上に、小さい規模のところがいっぱいできた。道路がかなり寸断されていたのと、高齢化している地域が多くて遠くに避難できないため、近いところとか一つの集落に一台とか、無秩序に仮設トイレが置かれたので、状況把握は相当難しかったと思う。
ただ、環境省もすごくデータを集めていて、次第に県外からバキュームカーがいっぱい入ってくるようになったので、かなり改善されたと聞いている。
結局、30年前と意識が変わっていないというか、個人も行政も、食べ物に注意が行って、トイレは後回しにされてしまう。
(HAさん)携帯トイレの種類が変わると使いにくいという話を詳しく聞きたい。
(大口)私が最初に使った携帯トイレは、袋を二重にして凝固剤を入れて、用を足したらそれを縛って、別の袋に入れて、さらに防臭袋に入れるようになっていた。
次は、袋は1枚で、二種類の凝固剤を入れて、使ったら縛って防臭袋に入れた。
その次は、袋の四隅に紐があって、それを便座にくくり付けて用を足し、紐を縛って袋の中に凝固剤を入れるとか、すごく複雑だった。
(谷本)もうちょっと本当はシンプルなはず。ただ、規格は統一されていない。
(山本)携帯トイレは一般ゴミと分別しなければならないのに、携帯トイレの袋と一般ゴミの袋の区別がつかない。携帯トイレの袋は色を変えるとか、テープを巻くとかして、他のゴミと区別できるようにすべきだと思う。
これも、やはり規格の統一という観点で議論していく必要がある。
我々、災害・仮設トイレ研究会の中で、そういう問題を検討できたらと思う。
1日に1人当たり携帯トイレを5個使うとしても、多くの被災者が何日も使うと、ゴミとして大変な量になる。私は環境コンサルタントの仕事として、災害廃棄物の処理計画を作ったりしてきたが、今まで携帯トイレの廃棄物のことまで計画の中にちゃんと盛り込んでいなかったかもしれない。
(TOさん)夏場における仮設トイレの設置、管理についての困難を教えてほしい。
(谷本)夏場は、一番は虫とか臭い対策が一番。あまり強力な薬剤だと、仮設トイレが壊れることがある。そこで、殺虫ではなく、防虫という薬剤を使っている。ただ、まだまだ広く認知されていないのと、現地でなかなか手に入りづらい。
それから、暑さ対策。仮設トイレは、私たちの調べだと、外が30度の時、中は35℃くらいになっている。我々も、質の高いトイレにはエアコンをつけたりしているが、普通の仮設トイレには、スペース的にも予算的にもそういったものは付けられないので非常に難しい。
(HOさん)視覚障害のある人には、トイレの場所や機器の位置に鈴など、音の出るものの設置が有効なのではないか。また、携帯トイレにも、どこかに点字や記号を付けておくと使いやすくならないか。
(大口)1.5次避難で行った場所にあった車いすで使えるトイレでは、入口の戸を開けたらトイレの中の説明をする音声ガイダンスが流れていた。
ところが、入口での説明だけだと、覚えきれない。
点字は、視覚障害があっても読めない人がたくさんいる。
スマホで情報を読み取るアプリはいくつかあるが、ネット環境が整わないと使えない。
(KAGさん)前もってダウンロードしておけば、オフラインでも使えるシステムもある。
(KAUさん)なぜ仮設トイレの出荷品の中の洋式の比率が増えないのか。
(谷本)国発注の土木工事では洋式トイレが必要とされているので、それに合わせて予算が組まれている。ただ、建設現場の中において土木工事の比率は低く、民間建築の現場がほとんど。資材や人件費の高騰もあって、仮設トイレのレンタル代金にコスト削減のしわ寄せが来ている。
洋式トイレは希少価値があって、レンタル料が高いので、予算の厳しい現場からは注文が来ない。和式トイレは安く借りられるので、使う人のニーズというよりも予算面のニーズから、相変わらず和式トイレの製造が多くなっている。
(高橋)地震が起きて3か月近くたつのに、被災地の中には、いまだにトイレや食事に困っているところがある。
これからもトイレ協会として、能登半島地震のことを考えていきたい。